蜻蛉日記
その泉川もわたらで、橋寺といふところにとまりぬ
その泉川もわたらで、橋寺といふところにとまりぬ。酉(とり)のときばかりにおりてやすみたれば、旅籠所(はたごどころ)とおぼしき方より、切り大根(おほね)、柚の汁してあへしらひて、まづ出だしたり。かかる旅だちたるわざどもをしたりしこそ、あやしう忘れがたう、をかしかりしか。
あくれば川わたりていくに、柴垣しわたしてある家どもを見るに、いづれならん、よものがたりの家など、思ひ行くに、いとぞあはれなる。今日も寺めくところにとまりて、又の日は椿市(つばいち)といふところにとまる。
又の日、霜のいと白きに、詣(まうで)もし帰りもするなめり。脛(はぎ)を布のはしして引きめぐらかしたる者ども、ありき違ひさわぐめり。蔀(しとみ)さしあげたるところに宿りて、湯わかしなどするほどに見れば、さまざまなる人の行き違ふ、おのがじじはおもふことこそはあらめと見ゆ。とばかりあれば、文ささげて来る者あり。そこにとまりて、
「御文」
といふめり。見れば、
「きのふけふのほど、なにごとか、いとおぼつかなくなん。人すくなにてものしにし、いかが。いひしやうに三日さぶらはんずるか。帰るべからん日ききて、むかへにだに」
とぞある。返り事には、
「椿市(つばいち)といふところまではたひらかになん。かかるついでにこれよりもふかくと思へば、帰らん日をえこそきこえ定めね」
とかきつ。
「そこにて猶三日候ひ給ふこと、いと便なし」
などさだむるを、つかひ、聞きてかへりぬ。