平家物語
内裏炎上
平大納言時忠卿、その時はいまだ左衛門督にておはしけるが、上卿にたつ。大講堂の庭に、三塔会合して、上卿をとって引っ張り、
「しや冠を打ち落とせ。その身を搦(から)めて湖に沈めよ」
などぞ僉議しける。既にかうと見えられけるに、時忠卿、
「しばらくしづまられ候へ。衆徒の御中へ申すべき事あり」
とて、懐より小硯、畳紙を取り出だし、一筆かいて、大衆の中へつかはす。これをひらいて見れば、
「衆徒の濫悪を致すは、魔縁の所行なり。明王の制止を加はるは、善政の加護なり」
とこそ書かれたれ。これを見て、引っ張るに及ばず。大衆皆もっとももっともと同じて、谷々におり、坊々へぞ入りにける。一紙一句をもって、三塔三千の憤りをやすめ、公私の恥をものがれ給へる時忠卿こそゆゆしけれ。
「山門の大衆は、発向のかまびすしきばかりかと思ひたれば、理(ことはり)をも存知したりけり」
とぞ感ぜられける。
同じき廿日、花山院権中納言忠親卿を上卿にて、国司加賀守師高つひに欠官せられて、尾張の井戸田へ流されけり。目代近藤判官師経禁獄せらる。また去ぬる十三日、神輿射奉し武士六人、獄定せらる。左衛門尉藤原正純・右衛門尉正季・左衛門尉大江家兼・右衛門尉同家国・左衛門尉清原康家・右衛門尉同康友・これらは皆小松殿の侍なり。
つづき