蜻蛉日記
山路なでふことなけれど
山路なでふことなけれど、あはれに、いにしへもろともにのみときどきは物せし物を、また病むことありしに、三四日も、このころのほどぞかし、宮づかへもたえ、こもりてもろともにありしは、など思ふに、はるかなる道すがら涙もこぼれゆく。とも人三人ばかりそひて行く。
まづ僧坊におりゐて見出だしたれば、前にませゆひわたして、まだなにとも知らぬ草どもしげきなかに、牡丹(ぼうたん)草ども、いとなさけなげにて花ちりはてて立てるを見るにも、散るかつはとよといふことをかへしおぼえつつ、いとかなし。
湯などものして御堂にと思ふほどに、里より心あはただしげにて人はしり来たり。とまれる人の文あり。見れば、
「ただいま殿より御文もて、それがしなんまゐりたりつる。
「ささしてまゐり給ふことあなり。かつがつまゐりてとどめきこえよ。ただ今わたらせ給ふ」
と言ひつれば、ありのままに、
「はや出でさせ給ひぬ。これかれも追ひてなんまゐりぬる」
と言ひつれば、
「いかやうにおぼしてにかあらんとぞ、御けしきありつるを、いかがさはきこえむ」
とありつれば、月ごろの御ありさま、精のよしなどをなん物しつれば、うち泣きて、
「とまれかくまれ、まづとくをきこえむ」
とて、いそぎ帰りぬる。されば論(ろ)なうそこに御消息ありなん。さる用意せよ」
などぞ言ひたるをみて、うたて心をさなくおどろおどろしげにやもしないつらん、いと物しくもあるかな。けがれなどせば、あすあさてなども出でなむとする物をと思ひつつ、湯のこといそがして堂にのぼりぬ。