平家物語
二代后
既に御入内(じゅだい)の日になりしかば、父の大臣(おとど)、供奉(ぐぶ)の上達部(かんだちめ)、出車の儀式なんど、心ことにだしたてまゐらさせ給ひけり。大宮物憂き御いでたちなれば、とみにもたてまつらず。はるかに夜も更け、小夜(さよ)もなかばになりて後、御車にたすけのせられ給ひけり。御入内の後は、麗景殿(れいげいでん)にぞましましける。ひたすらあさまつりごとをすすめ申させ給ふ御ありさまなり。かの紫宸殿(ししんでん)の皇居には、賢聖(けんじょう)の障子を立てられたり。伊尹(いいん)、鄭伍倫(ていごりん)、虞世南(ぐせいなん)、太公望(たいこうぼう)、角里先生(ろくりせんせい)、李勣(りせき)、司馬。手長足長、馬形の障子、鬼の間(ま)、李将軍がすがたをさながら写せる障子もあり。尾張守(おわりのかみ)小野道風が、 七廻賢聖の障子とかけるも、ことはりとぞ見えし。かの清涼殿(せいりょうでん)の画図の御障子には、むかし金岡がかきたりし遠山(えんざん)の有明の月もありとかや。故院のいまだ幼主(ようしゅ)にてましましけるそのかみ、何となき御手まさぐりのついでに、かきくもらかさせ給ひしが、ありしながらに少しもたがはぬを御覧じて、先帝の昔もや御恋しう思し召されけむ。
おもひきやうき身ながらにめぐりきて おなじ雲井の月を見むとは
その間の御仲らへ、言ひ知らず哀れにやさしかりし御事なり。