はじめに
今回はスペイン、ネーデルラントに続いてイギリスがどのように絶対主義国家となっていったかを見ていきましょう。
中世のイギリス
まずおさらいとして、中世のイギリスについて確認しましょう。
中世末期に、イギリスは2つの大きな戦争を経験します。
対フランスの「百年戦争」
百年戦争は1339年から1453年まで行われたフランスとの戦争です。 当時のイギリス王エドワード 3 世は母親がフランスの
カペー朝出身であったので、この王朝が断絶した際に王位継承権を主張して
ヴァロワ朝フランスと開戦しました。最初イギリス軍が優勢だったのですが、次第にフランス軍に駆逐されていきました。オルレアンを解放した
ジャンヌ=ダルクの活躍は有名な話ですね。この戦争によって両国共に領主・騎士階級が疲弊したため、国王による中央集権化が促されたと言われています。
(ジャンヌ=ダルク)
イギリス国内の「ばら戦争」
ばら戦争は、1455年から85年まで続いた王位継承権をめぐるイギリス国内の内乱です。
プランタジネット朝の傍流だった
ランカスター家と
ヨーク家がそれぞれ貴族を巻き込み大規模な戦争を引き起こしました。最終的にランカスター家の傍流のテューダー家が戦争に勝利し、テューダー朝を開くことになりました。ばら戦争はランカスター家の赤ばら、ヨーク家の白ばらという両家の紋章に由来しています。
(ヨーク家の白薔薇(左)とランカスター家の赤薔薇(右))
さて、このような大きな戦争を相次いで経験したイギリスでは、伝統的な大貴族たちが次第に没落していきます。
一方で、富農、下層貴族から
ジェントリと言われる新しい階層集団が生まれました。ジェントリは
郷紳と訳され、様々な土地を持つ地主階級のことを指します。ジェントリの中には医者や法曹なども含まれ、一部は後に
毛織物産業の経営を通じて巨万の富を得た者もいました。
このジェントリは後に貴族階級と共にジェントルマンと称され、高貴な人々を指すようになります。