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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 西ヨーロッパ中世世界の変容

十字軍の歴史② ~十字軍とサラディンの戦い ヨーロッパ社会の変容~

著者名: エンリケ航海王子
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はじめに

前回は、十字軍の成立の理由と過程を見ていきました。このテキストでは、実際に十字軍がどのような活動を行ったかを説明します。

十字軍の活動

十字軍と一口に言っても、実際は、実に200年もの間に7回の遠征が行なわれたものでした。

第1回十字軍(1096~1099)

第一回十字軍は、フランス・イタリア軍が中心となり、1096年に結集します。彼らは最初ビザンツ帝国のコンスタンティノープルに赴いた後、1099年にファーティマ朝総督が管理下に置いていたイェルサレムを奪還します。この聖地奪還の際、十字軍はユダヤ教徒やイスラム教徒を惨殺したと伝えられています。

十字軍はこの聖地奪還の途中で、中東地域にアンティオキア候領やエデッサ伯領などの領土を獲得し、聖地にイェルサレム王国を建国します。

第一回十字軍は聖地奪還という任務に成功したものの、イェルサレム王国にとどまる人々はあまりおらず、多くの諸侯は帰国の途につきました。そのため、イェルサレム王国は、周辺のイスラム勢力に対抗するための軍事力を有しないまま、聖地を守らなくてはなりませんでした。

同時期に、聖地巡礼者の保護などを目的として、騎士修道会が成立しました。この騎士修道会とは、聖地守護のために騎士階級が修道士を兼ねて設立されたもので、その後ヨーロッパ史のさまざまな場面で現れます。有名なものに、ヨハネ騎士団テンプル騎士団ドイツ騎士団などがあります。

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(ヨハネ騎士団の戦闘)

第2回十字軍(1147~1149)

イェルサレム奪還後、しばらくすると、イスラム勢力の反撃が始まりました。エデッサ伯領やアンティオキア伯領は次々とイスラム側に奪還されてしまいます。
この状況の中、1147年にフランス王ルイ7世とドイツ王コンラート3世が組織したのが第二回十字軍です。
この十字軍はイスラム勢力の拠点であったシリアのダマスクスを攻撃しましたが、失敗に終わります。

第3回十字軍(1189~1192)

聖地守護のためにイェルサレム王国が奮闘する中、イスラム勢力に英雄サラディン(サラーフ=アッディーン)が現れました。彼は自らアイユーブ朝を興し、1171年にファーティマ朝を滅ぼしエジプトを支配しました。そして、1187年にイェルサレム王国破り、再びイェルサレムはイスラム勢力の管理下に置かれることになります。

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(サラディン)

先の十字軍の奪還とは対照的に、サラディンの軍勢は捕虜を丁重に扱い、彼の武勲と寛容さはヨーロッパ社会にまで伝わりました。


この動きに対抗しようとしたのが、第三回十字軍です。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イングランド王リチャード1世という当時のオールスター軍団が結成されます。

しかし、この十字軍は失敗に終わってしまいます。フリードリヒは途上で事故死、フィリップはリチャードと対立し帰国、その後イングランド王リチャード1世だけがサラディンと戦いましたが、聖地奪還は果たせませんでした。

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(聖地を去るリチャード1世)
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