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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 戦国時代・安土桃山時代

【ポルトガル人の来航、鉄砲伝来、イエズス会のキリスト教布教、南蛮貿易】 受験日本史まとめ 34

著者名: Cogito
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鉄砲伝来

こうした中、1543年(天文12年)に、倭寇の棟梁だった中国人の王直の船にのったポルトガル人が、九州の種子島に漂着しました。このとき、島主の種子島時堯はポルトガル人の持っていた鉄砲(火縄銃)を買い求め、家臣にその製造方法と使用法を学ばせました。この鉄砲伝来以降、ポルトガル船は毎年のように九州のさまざまな港に来航し、日本と交易をはじめました。また、スペインも1584年(天正12年)に平戸に来航し、日本との交易を開始しました。種子島銃はその後日本各地に広まり、堺・根来・雑賀・国友で国産化され、武士の戦闘方法を大きく変えていきます。

こうしたポルトガル人やスペイン人を南蛮人とよび、のちの江戸時代に来航したイギリス人やオランダ人を紅毛人と呼びました。この時代にはじまった南蛮貿易では、鉄砲・火薬・中国生糸などと銀が交易され、特に平戸・長崎・府内などで商取引が盛んに行われました。南蛮貿易はキリスト教宣教師による布教活動と一体化して行われました。当時ヨーロッパでは、宗教改革により新教プロテスタントが生まれ、旧教カトリックの権威が落ちつつありました。こうした中1534年にスペイン貴族イグナティウス=ロヨラフランシスコ=ザビエルらの同志とともにイエズス会(耶蘇会)を立ち上げました。1540年にローマ教皇パウロ3世に公認されたイエズス会は、軍隊的規律のもと新教プロテスタント撲滅と旧教カトリック勢力の拡大(対抗宗教改革)を目的に世界的に活動しました。1549年(天文18年)に日本布教のためにフランシスコ=ザビエルが来日し、大内義隆・大友義鎮(大友宗麟,1530〜87)の保護を受けてキリスト教布教活動をはじめました。日本ではキリスト教をキリシタン宗・天主教・耶蘇教と呼び、宣教師をポルトガル語のパードレ(神父)から転じたバテレン(伴天連)と呼びました。

その後宣教師の来日は続き、南蛮寺(教会堂)・宣教師の養成学校のコレジオ・神学校のセミナリオなどが各地に作られました。ザビエルのあと、ポルトガル人宣教師のガスパル=ヴィレラや『日本史』を著したルイス=フロイスらが九州を中心に近畿・中国地方にも布教を続け、キリスト教信者の数は急激に増加していきました。

ポルトガル船は布教を認めた大名の港に来航し、大名は貿易と宣教師の保護を積極的に行い、中には洗礼を受ける大名もいました。大友義鎮(大友宗麟,洗礼名フランシスコ)・有馬晴信(洗礼名プロタジオのちジョアン)・大村純忠(ドン=バルトロメオ)らはキリシタン大名と呼ばれ、イエズス会宣教師ヴァリリャーニの勧めにより、1582年(天正10年)に天正遣欧使節(伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルチノ)をローマに派遣し、彼等はローマ教皇グレゴリオ13世に謁見後1590年(天正18年)に帰国しました。大友義鎮や黒田孝高(ドン=シメオン)・長政親子はローマ字印章を用い、明智光秀の娘で細川忠興夫人となった細川ガラシャなど、熱心なキリスト教信者が増加しました。
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『詳説日本史』 山川出版社
『日本史用語集』 山川出版社

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