宇治拾遺物語『尼、地蔵を見奉ること』
このテキストでは、宇治拾遺物語の中の『尼、地蔵を見奉ること』でテストに出題されそうな問題をピックアップしていきます。
次の文章を読み、問いに答えよ
今は昔、丹後国に老尼ありけり。地蔵菩薩は暁ごとに歩き給ふといふことを、
ほのかに聞きて、暁ごとに、地蔵見奉らんとて、ひと世界 まどひありくに、博打の打ち呆けていたるが見て、
「尼君は、寒きになにわざし給ふぞ」といへば、
「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに、あひ参らせんとて、かくありくなり」といへば、
「地蔵のありかせ給ふみちは、我こそ知りたれば、いざ給へ、あはせ参らせむ」といへば、
「あはれ、うれしき事かな。地藏のありかせ給はむ所へ、われを率ておはせよ」といへば、
「われに物をえさせ給へ。
やがて率て奉らむ」と言ひければ、
「此着たるきぬ奉らむ」といへば、
「いざ給へ」
とて、隣なる所へ率てゆく。
尼喜びていそぎゆくに、
そこの子に、地蔵と云童ありけるを、それが親を知りたりけるによりて、
「地蔵は」
と問ひければ、親
「遊びにいぬ。いま来なむ」といへば、
「くは、ここなり。地蔵のおはします所は」
といへば、尼、うれしくて、つむぎの衣を、ぬぎてとらすれば、
博打は急ぎて取りていぬ。
尼は、地蔵見参らせんとていたれば、親共は、心得ず、など此童を見むと思ふらむと思ふ程に、十ばかりなる童の来るを、
「くは、ぢざう」といへば、
尼、見るままに是非もしらず、臥しまろびて、おがみ入て、土にうつぶしたり。童、楚をもてあそびけるままに、来たりけるが、その楚して、手すさびのやうに、額をかけば、額よりかほのうへまでさけぬ。さけたる中より、
えもいはずめでたき地蔵の御顏見え給ふ。尼おがみ入りて、うち見あげたれば、かくてたち給へれば、涙をながしておがみ入参らせて、やがて極楽へ参りけり。
されば心にだにもふかく念じつれば、佛も見え給ふなりけると信ずべし。
問題
■Q1:「ほのかに聞きて」とあるが何を聞いたのか、文中から抜き出しなさい。
■Q2:「やがて率て奉らむ。」を現代語訳しなさい。
■Q3:「『やがて率て奉らむ。』と言ひければ」とあるが、「言ひければ」の主語を答えなさい。
■Q4:「そこの子」の「そこ」と何を指すか、文中から抜き出しなさい。
■Q5:「博打は、急ぎて取りていぬ。」とあるが、なぜ博打はそのようにしたのか答えなさい。
■Q6:「いぬ」の動詞の活用の種類と活用形を答えなさい。
■Q7:「えもいはずめでたき地蔵の御顔」を現代語訳しなさい。
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