平家物語
祇王
祇王、
「あれはいかに、仏御前と見たてまつるは。夢かや、うつつか」
と言ひければ、仏御前涙をおさへて、
「かようの事申せば、事あたらしうさぶらへ共、申さずはまた思ひ知らぬ身ともなりぬべければ、はじめよりして申すなり。もとよりわらはは推参のものにて出だされ参らせさぶらひしを、祇王御前の申しやうによってこそ、召しかへされてもさぶらふに、女のはかなきこと、我が身を心にまかせずして、おしとどめられまゐらせし事、心憂うこそさぶらひしか。いつぞやまた、召されまゐらせて、今様うたひ給ひしにも、思ひ知られてこそさぶらへ。いつか我が身のうへならんと思ひしかば、嬉しとはさらに思はず。障子にまた、
「いづれか秋にあはではつべき」
と、書き置き給ひし筆のあと、げにもと思ひさぶらひしぞや。その後は、在所をいづくとも知りまゐらせざりつるに、かやうにさまをかへて、ひと所にとうけ給はってのちは、あまりにうらやましくて、常は暇(いとま)を申ししかども、入道殿さらに御もちゐましまさず。つくづく物を案ずるに、娑婆(しゃば)の栄花は夢のゆめ、楽しみ栄へて何かせむ。人身は請けがたく、仏教にはあひがたし。この度ないりに沈みなば、多生曠劫(たしょうこうごう)をばへだつとも、浮かびあがらん事かたし。年の若きをたのむべきにあらず。老少不足のさかひなり。出づる息の入るをもまつべからず。かげろふいなづまよりなをはかなし。一旦の楽しみにほこって、後生を知らざらん事のかなっしさに、けさまぎれ出でてかくなってこそ参りたれ」
とて、かづきたる衣(きぬ)をうちのけたるを見れば、尼になってぞ出で来たる。
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