平家物語
祇王
かくて春過ぎ夏たけぬ。秋の初風吹きぬれば、星合(ほしあい)の空をながめつつ、天(あま)のとわたる梶の葉に、思ふ事かく頃なれや。夕日のかげの西の山の端にかくるるを見ても、
「日の入り給ふ所は、西方浄土にてあんなり。いつかわれらもかしこに生まれて、物を思はで過ぐさむずらん」
と、かかるにつけても過ぎにしかたの憂きことども、思ひつづけてただつきせぬ物は涙なり。黄昏(たそかれ)時も過ぎぬれば、竹のあみ戸を閉じふさぎ、灯(ともしび)かすかにかきたてて、親子三人念仏してゐたるところに、竹のあみ戸をほとほととうちたたくもの出で来たり。その時、尼どもきもを消し、
「あはれこれはいふかひなき我らが念仏して居たるを妨げんとて、魔縁(まえん)の来たるにてぞあるらむ。昼だにも人もとひこぬ山里の、柴の庵の内なれば、あけずともおし破らん事やすかるべし。なかなかただ開けて入れんと思ふなり。それに情けをかけずして、命をうしなふものならば、年頃頼みたてまつる弥陀(みだ)の本願をつよく信じて、隙(ひま)なく名号をとなへ奉るべし。声を尋ねて迎へ給ふなる聖主の来迎(らいごう)にてましませば、などか引摂なかるべき。相かまへて念仏おこたり給ふな」
と、たがひに心をいましめて、竹のあみ戸を開けたれば、魔縁にてはなかりけり。仏御前ぞ出で来たる。
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