平家物語
鱸(すずき)
かくて忠盛、刑部卿になつて、仁平三年正月十五日、歳五十八にてうせにき。清盛嫡男たるによつて、その跡をつぐ。保元元年七月に、宇治の左府代を乱りたまひし時、安芸(あき)の守とて、御方にて勲功ありしかば、播磨守に移って、同三年太宰大貳(だざいのだいふ)になる。次に平治元年十二月、信頼卿が謀反の時、御方にて賊徒を討ちたひらげ、
「勲功一つにあらず、恩賞これおもかるべし」
とて、次の年正三位に叙せられ、うちつづき、宰相、衛府督、検非違使別当、中納言、大納言に経(へ)あがつて、あまさへ丞相の位にいたり、左右を経ずして内大臣より太政大臣従一位にあがる。大将にあらねども、兵杖をたまはつて隨身を召し具す。牛車、輦車(れんじゃ)の宣旨を蒙つて、乗りながら宮中を出入す。偏(ひとへ)に執政の臣のごとし。
「太政大臣は、一人に師範として、四海に儀けいせり。国を治め道を論じ、陰陽をやはらげさむ。その人にあらはずは則ち闕けよ」
といへり。即闕(そっける)の官とも名付けたり。その人ならではけがすべき官ならねども、一天四海を、掌の内に、握られし上は、子細に及ばず。
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