平家物語
鱸(すずき)
其の子共は、諸衛(しょえ)の佐(すけ)になる。昇殿せしに、殿上のまじはりを人嫌ふに及ばず。其の比(ころ)忠盛、備前国より都へのぼりたりけるに、鳥羽院、
「明石浦はいかに」
と、御尋(おんたずね)ねありければ、
有明の月も明石のうら風に 浪ばかりこそよるとみえしか
と申したりければ、御感(ぎょかん)ありけり。この歌は、金葉集にぞ入(いれ)られける。忠盛また仙洞に最愛の女房をもつて通はれけるが、ある時、その女房のつぼねに、妻に月出したる扇を忘れて出でられたりければ、かたへの女房たち、
「これはいづくよりの月影ぞや、出所(いでどころ)おぼつかなし」
なんど、笑ひあはれければ、かの女房、
雲井よりただもりきたる月なれば おぼろけにてはいはじとぞ思ふ
と詠みたりければ、いとどあさからずぞ思はれける。薩摩守忠教(さつまのかみただのり)の母これなり。似るを友とかやの風情に、忠盛もすいたりければ、かの女房もゆうなりけり。
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