平家物語
鱸(すずき)
平家かやうに繁昌せられけるも、熊野権現の御利生とぞ聞こえし。その故は、古(いにし)へ清盛公、いまだ安芸守たりし時、伊勢の海より、船にて熊野へまいられけるに、大きなる鱸(すずき)の、船に躍(おど)り入りたりけるを、先達申しけるは、
「これは、権現の御利生なり。いそぎ参るべし」
と申しければ、清盛のたまひけるは、
「昔周の武王の船にこそ、白魚は、躍り入りたりけるなれ。これ吉事なり。」
とて、さばかり十戒を保ち、精進潔斎の道なれども、調味して、家子・侍共に食はせられけり。その故にや、吉事のみうちつづいて、太政大臣まできはめたまへり。子孫の官途も、竜の雲に昇るよりは、猶すみやかなり。九代の先蹤をこえたまふこそ目出たけれ。