蜻蛉日記
来そめぬれば
来そめぬれば、しばしばものしつつ、おなじことをものすれど、
「ここには、御ゆるされあらんところよりさぞあらんときこそは、わびてもあべかめれ」
といへば、
「やんごとなきゆるされはなりにたるを」
とて、かしがましうせむ。
「この月とこそは殿にもおほせはありしか。廿余日のほどなん、よき日はあなる」
とてせめらるれど、助、寮(つかさ)のつかひにとてまつりにものすべければ、そのことをのみおもふに、人はいそぎのはつるを待ちけり。みそぎの日、犬の死にたるを見つけて、いふかひなくとまりぬ。
さてなほここには、いといちはやき心ちすれば思ひかくることもなきを、かれより、
「かくなんおほせありきとて、せむるごときこえよ」
とのみあれば、
「いかでさはのたまはせるにかあらん。いとかしがましければ、見せたてまつりつべくて。御かへり」
といひたれば、
「さは思ひしかども、助のいそぎしつるほどにて、いとはるかになんなりにけるを、もし御心かはらずは、八月ばかりにものし給へかし」
とあれば、いとめやすき心ちして、
「かくなんはべめる。いちはやかりける暦は不定(ふじょう)なりとは、さればこそきこえさせしか」
とものしたれば、かへりごともなくて、と許(ばかり)ありてみづから、
「いと腹だたしきこときこえさせになんまゐりつる」
とあれば、
「なにごとにか。いとおどろおどろしくはべらん。さらばこなたに」
といはせたれば、
「よしよし、かう夜昼まゐりきては、いとどはるかになりなん」
とて、入(い)らで、と許(ばかり)助とものがたりして、たちて硯(すずり)、紙とこひたり。出だしたれば、書きておしひねりて入れていぬ。見れば、
「ちぎりおきしうづきはいかにほとゝぎす わがみのうきにかけはなれつつ
いかにしはべらまし。屈(く)しいたくこそ。暮にを」
とかいたり。手もいとはづかしげなりや。かへりごと、やがておひてかく。
なほしのべはなたちばなの枝やなき あふひすぎぬるうづきなれども