蜻蛉日記
二日許ありて、ただことばにて
二日許ありて、ただことばにて
「侍らぬほどにものしたまへりけるかしこまり」
などいひてたてまつれてのち、
「いとおぼつかなくてまかでにしを、いかで」
とつねにあり。
「にげないことゆゑに、あやしの声までやは」
などあるは、ゆるしなきを、
「助にものきこえむ」
といひがてら、暮れにものしたり。いかがはせんとて格子二間(ふたま)ばかりあげて、簀子(すのこ)に火ともして廂(ひさし)にものしたり。助、対面(たいめ)して、
「はやく」
とてえんにのぼりぬ。妻戸をひきあけて
「これより」
といふめれば、あゆみよるものの、又たちのきて
「まづ御消息きこえさせたまへかし」
としのびやかにいふなれば、入りて
「さなん」
とものするに、
「おぼしよらんところにきこえよかし」
などいへば、すこしうちわらひて、よきほどにうちそよめきていりぬ。
助とものがたりしのびやかにして、笏(さく)に扇のうちあたるおとばかりときどきして、ゐたり。うちにおとなうてややひさしければ、助に、
「「一日かひなうてまかでにしかば、心もとなさになん」
ときこえ給へ」
とていれたり。
「はやう」
といへばゐざりよりてあれど、とみにものもいはず。うちよりはたましておとなし。とばかりありて、おぼつかなうおもふにやあらんとて、いささかしはぶきの気色したるにつけて、
「ときしもあれ、あしかりけるをりにさぶらひあひはべりて」
といふをはじめにて、思ひはじめけるよりのこと、いとおほかり。うちには、たゞ、
「いとまがまがしきほどなれば、かうの給ふも夢の心ちなんする。ちひさきよりも世にいふなる鼠おひのほどにだにあらぬを、いとわりきことになん」
などやうにこたふ。声いといたうつくろひたなりときけば、われもいとくるし。
雨うちみだる暮れにて、かはづの声いとたかし。夜ふけゆけば、うちより
「いとかくむくつけげなるあたりは、うちなる人だにしづ心なくはべるを」
といひ出だしたれば、
「なにか、これよりまかづと思ふたまへむかし、おそろしきことはべらじ」
といひつつ、いたうふけぬれば、
「助の君の御いそぎも近うなりにたらんを、そのほどの雑役(ざうやく)をだにつかうまつらん。殿に、かうなんおほせられしと御気色給はりて、又、の給はせんこときこえさせに、あすあさてのほどにもさぶらふべし」
とあれば、立つななりとて、丁のほころびよりかきわけて見いだせば、簀子(すのこ)にともしたりつる火は、はやう消えにけり。うちにはもののしりゑにともしたれば光ありて、外(と)の消えぬるもしられぬなりけり。かげもや見えつらんとおもふにあさましうて、
「腹ぐろう、消えぬともの給はせで」
といへば、
「なにかは」
さぶらふ人もこたへてたちにけり。