蜻蛉日記
六日のつとめてより雨はじまりて
六日のつとめてより雨はじまりて、三四日ふる。川水まさりて人ながるといふ。それもよろづをながめ思ふに、いといふかぎりにもあらねど、いまはおもなれにたることなどはいかにもいかにも思はぬに、この石山にあひたりし法師のもとより、
「御いのりをなんする」
といひたるかへりごとに、
「今はかぎりにおもひはてにたる身をば、仏もいかがし給はん。ただいまは、この大夫を人々しくてあらせ給へなど許を申し給へ」
とかくにぞ、なにとにかあらん、かきくらして涙こぼるる。
十日になりぬ。今日ぞ大夫につけて文(ふみ)ある。
「なやましきことのみありつつ、おぼつかなきほどになりにけるを、いかに」
などぞある。
かへりごと、又の日ものするにぞつくる。
「昨日はたちかへりきこゆべくおもひたまへしを、このたよりならではきこえんにも、便(び)なき心ちになりにければなん。
「いかに」
とのたまはせたるは、なにか、よろづことはりにおもひたまふる。月ごろみえねば、なかなかいと心やすくなんなりにたる。
「風だにさむく」
ときこえさすれば、ゆゆしや」
と書きけり。日くれて
「かものいつみにおはしつれば、御かへりもきこえで帰りぬ」
といふ。
「めでたのことや」
とぞ、心にもあらでうちいはれける。
このごろ雲のたたずまひしづごころなくて、ともすれば田子の裳裾(もすそ)おもひやらるる。ほととぎすのこゑもきかず。ものおもはしき人は寝(い)こそ寝(ね)られざなれ、あやしう心よう寝らるるけなるべし。これもかれも
「一夜聞き」
「このあかつきにもなきつる」
といふを、人しもこそあれ、われしもまだしといはんも、いとはづかしければ、物いはで心のうちにおぼゆるやう、
我ぞげにとけてぬらめやほととぎす ものおもひまさる声となるならん
とぞ、しのびていはれける。
かくて、つれづれと六月になしつ。ひんがしおもての朝日のけ、いとくるしければ、みなみの廂(ひさし)にいでたるに、つつ ましき人のけぢかくおぼゆれば、やをらかたはらふして聞けば、せみの声いとしげうなりにたるを、おぼつかなうてまだ耳をやしなはぬ翁ありけり。庭はくとて箒(ははき)をもちて木のしたにたてるほどに、にはかにいちはやう鳴きたれば、おどろきてふりあふぎていふやう、
「よひぞよひぞといふなはぜみ来(き)にけるは。虫だに時節(ときせち)をしりたるよ」
とひとりごつにあはせて、しかしかとなきみちたるに、をかしうもあはれにもありけん心ちぞあぢきなかりける。