蜻蛉日記
心ちけしうはあらねば例の見おくりてながめ出だしたるほどに
心ちけしうはあらねば、例の見おくりてながめ出だしたるほどに、また
「おはすおはす」
とののしりてくる人あり。さならんと思ひてあれば、いとにぎははしく里心ちして、うつくしきものどもさまざまに装束(しやうぞ)きあつまりて、二車ぞある。馬どんなどふさにひきちらかいてさはぐ。破籠(わりご)やなにやとふさにあり。誦経(ずきょう)うちし、あはれげなる法師ばらに帷子(かたびら)や布やなどさまざまにくばりちらして、物語のついでに、
「おほくは殿の御もよほしにてなんまうできつる。
「ささしてものしたりしかど、出でずなりにき。又ものしたりともさこそあらめ。おのが物せんにはと思へば、え物せず。のぼりてあはめたてまつれ。法師ばらにも、いとたいだいしく経をしへなどすなるは、なでふことぞ」
となんの給ヘりし。かくてのみはいかなる人かある。世中にいふなるやうに、ともかくもかぎりになりておはせば、いふかひなくてもあるべし。かくて人もおほせざらんとき帰りいでてゐたまへらんも、をこにぞあらん。さりとも今ひとたびはおはしなん。それにさへ出で給はずばぞ、いと人笑はへにはなりはて給はん」
など、物ほこりかに言ひののしるほどに、
「西の京にさぶらふ人々、「ここにおはしましぬ」とて、たてまつらせたる」
とて、天下のものふさにあり。山のすゑと思ふやうなる人のために、はるかにあるにも、身のうきことはまづおぼえけり。
夕かげになりぬれば、
「いそぐとあれば、えひきはきこえず、おぼつかなくはあり、なほいとこそあしけれ。さていつともおぼさぬか」
といへば、
「ただ今はいかにもいかにも思はず。今ものすべきことあらばまかでなん。つれづれなるころなればにこそあれ」
などて、とてもかくてもいでむもおこなるべき、さや思ひなるとて、はらだたしと思ふなる人の言はするならん、里とてもなにわざをかせんずると思へば、
「かくて、あつきほどばかりと思ふなり」
といへば、
「期もなくおぼすにこそあなれ。よろづのことよりも、この君のかくそぞろなる精進をしておはするよ」
と、かつうち泣きつつ車にものすれば、ここなるこれかれ送りにたちいでたれば、
「御許し(おもと)たちもみな勘当にあたり給ふなり。よくきこえて、はやいだしたてまつり給へ」
など言ひちらして帰る。このたびの名残はまいていとこよなくさうざうしければ、我ならぬ人はほとほと泣きぬべく思ひたり。