蜻蛉日記
十七日、雨のどやかにふるに
十七日、雨のどやかにふるに、方(かた)ふたがりたりと思ふこともあり、世の中あはれに心ぼそくおぼゆるほどに、石山に一昨年まうでたりしに、心ぼそかりし夜な夜な陀羅尼(だらに)いとたふとうよみつつ礼堂にをがむ法師ありき、問ひしかば、
「去年(こぞ)から山ごもりして侍るなり。ごくだちなり」
などいひしかば、
「さらば祈りせよ」
とかたらひし法師のもとよりいひおこせたるやう、
「いぬる五日の夜の夢に、御そでに月と日とをうけたまひて、月をば足の下にふみ、日をば胸にあてていだきたまふとなん見てはべる。これ、夢解(ゆめとき)に問はせ給へ」
といひたり。いとうたておどろおどろしと思ふに、うたがひそひてをこなるここちすれば、人にもと解かせぬときしもあれ、夢あはする物来たるに、こと人のうへにて問はすれば、うべもなく、
「いかなる人の見たるぞ」
とおどろきて、
「みかどをわがままに、おぼしきさまのまつりごとせん物ぞ」
とぞいふ。
「さればよ、これが空あはせにあらず、いひおこせたる僧のうたがはしきなり。あなかま、いとにげなし」
とて、やみぬ。
又あるもののいふ、
「この殿の御門(みかど)を四つあしになすとこそ見しか」
といへば、
「これは大臣公卿いでたまふべき夢なり。かく申せば男ぎみの大臣ちかくものしたまふを申すとぞおぼすらん。さにはあらず、君達(きんだち)御ゆくさきのことなり」
とぞいふ。またみづからの一昨日の夜みたる夢、右の方のあしのうらに、をととかどといふ文字をふと書きつくれば、おどろきてひき入ると見しを問へば、
「このおなじことの見ゆなり」
といふ。これもをこなるべきことなればものくるるほしと思へど、さらぬ御族(ぞう)にはあらねば、わが一人もたる人、もしおぼえぬさいはひもや、とぞ心のうちに思ふ。