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蜻蛉日記原文全集「六七月おなじほどにありつつはてぬ」

著者名: 古典愛好家
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蜻蛉日記

六七月おなじほどにありつつはてぬ

六七月、おなじほどにありつつはてぬ。つごもり廿八日に、

「相撲(すまひ)のことにより内裏(うち)にさぶらひつれど、こちものせんとてなん、いそぎ出でぬる」


などて見えたりし人、そのままに八月廿余日まで見えず。聞けば、例のところにしげくなんと聞く。うつりにけりと思ばうつし心もなくてのみあるに、すむところはいよいよ荒れゆくを、ひとずくなにもありしかば、人にものしてわがすむところにあらせんといふことを、我がたのむ人さだめて、今日あす広幡中川(ひろはたなかがは)のほどにわたりぬべし。さべしとはさきざきほのめかしたれど、

「今日」


などもなくてやはとて、

「きこえさすべきこと」


ものしたれど、

「つつしむことありてなん」


とて、つれもなければ、

「なにかは」


とて、おともせでわたりぬ。


山ちかう川原(かはら)かたかげなるところに、水は心のほしきにいりたれば、いとあはれなるすまひとおぼゆ。二三日になりぬれど、知りげもなし。五六日許(ばかり)、

「さりけるを告げざりける」


と許あり。かへりごとに、

「さなんとは告げきこゆとなんおもひし。いと便(び)なきところに、はたかたうおぼえしかばなん、見たまひなれにしところにて、いまひとたびきこゆべくは思ひし」


など、たえたるさまにものしつ。

「さもこそはあらめ。便(び)なかなればなん」


とて、あとをたちたり。


九月になりて、まだしきに格子をあげて見いだしたれば、内なるにも外(と)なるにも川霧(かはぎり)たちわたりて、ふもとも見えぬ山の見やられたるも、いとものがなしうて、

ながれてのとことたのみてこしかども 我がなかがははあせにけらしも

とぞいはれける。



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・蜻蛉日記原文全集「六七月おなじほどにありつつはてぬ」

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The University of Virginia Library Electronic Text Center and the University of Pittsburgh East Asian Library http://etext.lib.virginia.edu/japanese/
長谷川 政春,伊藤 博,今西 裕一郎,吉岡 曠 1989年「新日本古典文学大系 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記」岩波書店

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