平家物語
大納言死去
信俊これをたまはつて、遥々と備前国有木の別所へ尋ね下る。先あづかりの武士、難波次郎経遠に、案内を云ひければ、心ざしの程を感じて、やがて見参に入れたりけり。大納言入道殿は、只今も都の事をのたまひ出だし、嘆き沈んでおはしけるところに、
「京より信俊が参つて候ふ。」
と申し入れたりければ、
「ゆめかや」
とて、聞きもあへず、おきなほり、
「これへこれへ」
と召されければ、信俊参つて見奉るに、まづ御住まひの心憂さもさる事にて、墨染の御袂を見奉るにぞ、信俊目もくれ、心も消えて覚えける。北方の仰せかうむりし次第、こまごまと申して、御文取り出だいて奉る。これを開けて見給へば、水茎の跡は涙にかきくれて、そこはかとは見えねども、
「をさなき人々のあまりに恋かなしみ給ふ有様、我が身も尽きせぬもの思ひに堪へ忍ぶべうもなし。」
なんど書かれたれば、
「日ごろの恋しさは、事の数ならず。」
とぞかなしみ給ふ。
つづき