蜻蛉日記
御四十九日はてて
御四十九日はてて、七月になりぬ。上に候ひし兵衞の佐、まだ年もわかく、思ふ事ありげもなきに、親をも妻(め)をもうちすてて、山にはひのぼりて法師になりにけり。
「あないみじ」
とののしり、
「あはれ」
といふほどに、妻(め)はまた尼になりぬときく。さきざきなども文かよはしなどする中にて、いとあはれにあさましき事をとぶらふ。
おくやまの思ひやりだにかなしきに またあまぐものかかるなになり
手はさながらか返りごとしたり。
山ふかく入りにし人もたづぬれど なほあまぐものよそにこそなれ
とあるも、いとかなし。
かかる世に、中將にや三位にやなど、よろこびをしきりたる人は、
「ところどころなる、いとさわが繁ればあしきを、近うさりぬべき所いできたり」
とて、わたして乗物なきほどにはひわたるほどなれば、人は思ふやうなりと思ふべかめり。しも月なかのほどなり。しはすつごもりがたに、貞観殿の御方、この西なる方にまかで給へり。