蜻蛉日記
五月にもなりぬ
五月にもなりぬ。十余日に内裏(うち)の御くすりのことありて、ののしるほどもなくて、廿余日のほどにかくれさせ給ひぬ。東宮、すなはちかはりゐさせ給ふ。東宮の亮(すけ)といひつる人は、蔵人の頭などいひてののしれば、かなしびはおほかたのことにて、御よろこびといふことのみきこゆ。あひしらへなどして、すこし人心地すれど、わたくしの心はなほおなじごとあれど、ひきかへたるやうにさはがしくなどあり。御陵(みささぎ)やなにやと聞くに、ときめきたまへる人々いかにと思ひやりきこゆるに、あはれなり。やうやう日ごろになりて、貞觀殿御方に、
「いかに」
などきこえけるついでに、
世中をはかなき物とみささぎの うもるるやまになげくらんやぞ
御かへりごと、いとかなしげにて、
おくれじとうきみささぎに思ひいる 心はしでの山にやあるらん