蜻蛉日記
春うちすぎて夏ごろ
春うちすぎて夏ごろ、宿直(とのゐ)がちになるここちするに、つとめて、一日(ひとひ)ありて暮れにはまゐりなどするをあやしうと思ふに、ひぐらしの初声きこえたり。いとあはれとおどろかれて、
あやしくもよるのゆゑへをしらぬかな けふひぐらしのこゑはきけども
といふに、出でがたかりけんかし。かくてなでふことなければ、人のこころをなほたゆみなくこりにたり。月夜のころよからぬ物語して、あはれなるさまのことどもかたらひてもありしころ、思ひ出でられて、ものしければ、かくいはる。
くもりよの月とわがみのゆくすゑと おぼつかなさはいづれまされり
かへりごと、たはぶれのやうに、
をしはかる月はにしへぞゆくさきは われのみこそはしるべかりけれ
など、たのもしげに見ゆれど、わが家とおぼしき所はことになんあんめれば、いと思はずにのみぞ、世はありける。さひはひある人のためには、とし月見し人もあまたの子など持たらぬを、かくものはかなくて、思ふことの みしげし。