成信の中将
成信の中将は、入道兵部卿の宮の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもをかしうおはす。伊予の守兼資が女(むすめ)忘れて、親の伊予へゐてくだりしほど、いかにあはれなりけむとこそおぼえしか。暁にいくとて、今宵おはして、有明の月に帰り給ひけむ直衣姿などよ。
その君、常にゐてものいひ、人の上など、わるきはわるしなどのたまひしに、物忌くすしう、つのかめなどにたててくふ物まつかいけなどするものの名を、姓にて持たる人のあるが、こと人の子になりて、たいらなどいへど、ただそのもとの姓を、若き人々ことぐさにて笑ふ。ありさまもことなることもなし。をかしきかたなどもとをきが、さすがに人にさしまじり、心などのあるを、御前わたりも、
「見苦し」
など仰せらるれど、腹ぎたなきにや、つぐる人もなし。
一条の院に作らせ給ひたる一間の所には、にくき人はさらによせず、東の御門につと向かひて、いとをかしき小廂(こひさし)に、式部のおもとともろに、夜も昼もあれば、上もつねにもの御覧じに入らせ給ふ。今宵は、うちに寝なむとて、南の廂に二人ふしぬるのちに、いみじうよぶ人のあるを、うるさしなどいひあはせて、寝たるやうにてあれば、なほいみじうかしがましうよぶを、
「それ、おこせ。そら寝ならむ」
と仰せられければ、この兵部きておこせど、いみじう寝いりたるさまなれば、
「さらにおき給はざめり」
といひにいきたるに、やがてゐつきて、ものいふなり。