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枕草子 原文全集「成信の中将」

著者名: 古典愛好家
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しばしかと思ふに、夜いたうふけぬ。権中将にこそあなれ、こはなにごとをかくゐてはいふぞとて、みそかに、ただいみじう笑ふもいかでかはしらむ。暁までいひ明かして帰る。また、

「この君、いとゆゆしかりけり。さらによりおはせむに、ものいはじ。なにごとを、さはいひあかすぞ」


などいひ笑ふに、遣戸あけて女は入り来(き)ぬ。
 

つとめて、例の、廂に人のものいふを聞けば、

「雨いみじう降るをりに来(き)たる人なむあはれなる。日頃おぼつかなく、つらきことありとも、さてぬれて来(き)たらむは、憂きこともみな忘れぬべし」


とは、などていふにかあらむ。さあらむを、よべも、昨日の夜も、そがあなたの夜も、すべてこのごろうちしきり見ゆる人の、今宵いみじからむ雨にさはらで来たらむは、なほ一夜もへだてじと思ふなめり、とあはれになりなむ。さらで、日頃も見えず、おぼつかなくて過ぐさむ人の、かかるをりにしも来(こ)むは、さらに心ざしのあるにはせじ、とこそおぼゆれ。人の心々なるものなればにや。もの見知り、思ひ知りたる女の、心ありと見ゆるなどを語らひて、あまた行くところもあり、もとよりのよすがなどもあれば、しげくも見えぬを、なほさるいみじかりしをりに来(き)たりしなど、人にも語りつがせ、ほめられむと思ふ人のしわざにや。それも、むげに心ざしなからむには、げに、なにしにかは作りごとにても見えむとも思はむ。

されど、雨のふる時には、ただむつかしう、今朝まではればれしかりつる空ともおぼえず、にくくて、いみじき細殿、めでたき所とおぼえず。まいて、いとさらぬ家などは、とくふりやみねかしとこそおぼゆれ。をかしきこと、あはれなることもなきものを。

さて、月のあかきはしも、過ぎにしかた行く末まで、思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたく、あはれなること、たぐひなくおぼゆ。それに来(き)たらむ人は、十日、廿日、一月、もしは一年(ひととせ)も、まいて七八年ありて、思ひ出でたらむは、いみじうをかしとおぼえて、えあるまじうわりなきところ、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらもものいひてかへし、また、とまるべからむは、とどめなどもしつべし。
 

月のあかき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにしことの、憂かりしも、うれしかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆるをりやはある。こまのの物語は、なにばかりをかしきこともなく、ことばもふるめき、見所おほからぬも、月に昔を思ひ出でて、むしばみたる蝙蝠(かわほり)とり出でて、

「もとみしこまに」


といひてたづねたるが、あはれなるなり。
 

雨は心もとなきものと思ひしみたればにや、かた時降るもいとにくくぞある。やむごとなきこと、おもしろかるべきこと、たふとうめでたかべいことも、雨だに降れば、いふかひなく、くちをしきに、なにか、そのぬれてかこち来(き)たらむがめでたからむ。
 
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・枕草子 原文全集「成信の中将」

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萩谷朴 1977年「新潮日本古典集成 枕草子 下」 新潮社
松尾聰,永井和子 1989年「完訳 日本の古典 枕草子」小学館
渡辺実 1991年「新日本古典文学大系 枕草子・方丈記」岩波書店

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