ふと心おとりとかするものは
ふと心おとりとかするものは、男も女も、ことばの文字いやしうつかひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ。ただ文字一つに、あやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。
いやしきこともわろきことも、さと知りながらことさらにいひたるは、あしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなくいひたるは、あさましきわざなり。また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるはにくし。まさなきことも、あやしきことも、大人なるは、まのもなくいひたるを、若き人は、いみじうかたはらいたきことに消えいりたるこそ、さるべきことなれ。
何事をいひても、
「そのことさせむとす、いはむとす、何とせむとす」
といふ『と』文字を失ひて、ただ
「いはむずる、里へ出でむずる」
などいへば、やがていとわろし。まいて、文にかいてはいふべきにもあらず。物語などこそ、あしうかきなしつれば、いふかひなく、作り人さへこそいとをしけれ。
「ひてつ車に」
といひし人もありき。
「求む」
といふことを
「みとむ」
なんどは、みないふめり。