頭弁の、職にまひり給ひて
頭弁の、職にまひり給ひて、物語などし給ひしに、
「夜いたうふけぬ。あす御物忌なるに、こもるべければ、丑(うし)になりなばあしかりなむ」
とて、まひり給ひぬ。
つとめて、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、
「けふは残りおほかる心地なむする。夜をとして、昔物語もきこえあかさむ、とせしを、にはとりの声にもよほされてなむ」
と、いみじうことおほくかき給へる、いとめでたし。御返しに、
「いと夜ふかく侍りける鳥の声は、孟嘗君のにや」
と聞こえたれば、たちかへり、
「『孟嘗君のにはとりは、函谷(かんこく)関をひらきて、三千の客、わづかに去れり』とあれども、これは逢坂の関なり」
とあれば、
「夜をこめて鳥のそらねははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ 心かしこき関守侍り」
ときこゆ。また、たちかへり、
あふさかは人越えやすき関なれば 鳥なかぬにもあけて待つとか
とありし文どもを、はじめのは、僧都の君、いみじう額をさへつきて、とり給ひてき。後々のは御前に。
さて、
「逢坂の歌はへされて、返しもえせずなりにき。いとわろし。さてその文は、殿上人みな見てしは」
とのたまへば、
「まことにおぼしけりと、これにこそ知られぬれ。めでたきことなど、人のいひつたへぬは、かひなきわざぞかし。また、みぐるしきこと散るがわびしければ、御文はいみじう隠して人につゆみせ侍らず。御心ざしのほどをくらぶるに、ひとしくこそは」
といへば、
「かくものを思ひしりていふが、なほ、人には似ずおぼゆる。『思ひぐまなく、あしうしたり』など、例の女のやうにやいはむ、とこそ思ひつれ」
などいひて、笑ひ給ふ。
「こはなどて。よろこびをこそきこえめ」
などいふ。
「まろが文を隠し給ひける、また、なほあはれにうれしきことなりかし。いかに心憂くつらからまし。いまよりも、さを頼みきこえむ」
などのたまひてのちに、経房の中将おはして、
「頭弁は、いみじうほめ給ふとは知りたりや。一日の文にありしことなど語り給ふ。思ふ人の、人にほめらるるは、いみじううれしき」
など、まめまめしうのたまふもをかし。
「うれしきこと二つにて、かのほめ給ふなるに、また、思ふ人のうちに侍りけるをなむ」
といへば、
「それめづらしう、いまのことのやうにもよろこび給ふかな」
など宣のたまふ。