五月ばかり
五月ばかり、月もなういとくらきに、
「女房や候ひ給ふ」
と声々していへば、
「出でて見よ。例ならずいふは誰ぞとよ」
とおほせらるれば、
「こはたそ。いとおどろおどろしう、きはやかなるは」
といふ。ものもいはで御簾をもたげて、そよろとさし入るる、呉竹なりけり。
「おい、この君にこそ」
といひたるを聞きて、
「いざいざ。これまづ殿上にいきて語らむ」
とて、式部卿の宮の源中将、六位どもなどありけるはい去ぬ。
頭弁はとまり給へり。
「あやしくても、いぬるものどもかな。御前の竹ををりて、歌詠まむとてしつるを、同じくは職にまひりて、女房など呼び出できこえてともてきつるに、呉竹の名をいととくいはれて、いぬるこそ、いとをしけれ。たがをしへを聞きて、人のなべしるべうもあらぬ事をばいふぞ」
など、のたまへば、
「竹の名ともしらぬものを。なめしとやおぼしつらむ」
といへば、
「まことに、そはしらじを」
など、のたまふ。
まめごとなどもいひあはせてゐ給へるに、
「うへてこの君と称す」
と誦(ず)じて、また集まりきたれば
「殿上にていひ期しつる本意もなくては。など、かへり給ひぬるぞと、あやしうこそありつれ」
とのたまへば、
「さることには、なにのいらへをかせむ。なかなかならむ。殿上にていひののしりつるを、上もきこしめして興ぜさせおはしましつ」
と語る。頭弁もろともに、同じことを返す返す誦じ給ひて、いとをかしければ、人々、みなとりどりに、ものなどいひあかして、かへるとてもなほ、同じことを、諸声に誦じて、左衛門の陣入るまで聞こゆ。
つとめて、いととく、少納言の命婦といふが御文まゐらせたるに、この事を啓したりければ、下なるを召して、
「さる事やありし」
と問はせたまへば
「しらず。なにともしらで侍りしを、行成の朝臣(あそん)のとりなしたるにや侍らむ」
と申せば、
「とりなすとも」
とて、うち笑ませ給へり。誰が事をも、殿上人ほめけりなどきこしめすを、さいはるる人をも、よろこばせ給ふも、をかし。