蜻蛉日記
からうしてかへりて又の日
からうしてかへりて又の日、出居(いでい)のところより夜ふけてかへりきて、ふしたるところよりきていふやう、
「殿なん、
「きんぢが寮(つかさ)のかみの、去年(こぞ)よりいとせちにのたうぶことのあるを、そこにあらん子はいかがなりたる。おほきなりや、心ちつきにたりや」
などのたまひつるを、又かのかみも、
「殿はおほせられつることやありつる」
などなんのたまひつれば、
「さりつ」
となん申しつれば、
「あさて許よき日なるを、御ふみたてまつらむ」
となんのたまひつる」
とかたる。いとあやしきことかな、まだ思ひかくべきにもあらぬを、とおもひつつ寝ぬ。
さてその日になりて文あり。いと返事(かへりごと)うちとけしにくげなるさましたり。中(うち)のことばは、
「つきごろはおもひ給ふることありて、殿につたへ申させはべりしかば、
「ことのさまばかりきこしめしつ。いまはやがてきこえさせよとなんおほせ給ふ」
とうけ給はりにしかど、いとおほけなき心のはべりけるとおぼしとがめさせ給はんを、つつみはべりつるになん。ついでなくてとさへおもひ給へしに、司召(つかさめし)み給へしになん、この助の君のかうおはしませば、まゐりはべらんこと、人見とがむまじう思ひたまふるに」
など、いとあるべかしう書きなし、はしに
「武蔵といひはべる人の御曹司に、いかでさぶらはん」
とあり。かへりごときこゆべきを、まづこれはいかなることぞとものしてこそは、とてあるに、
「「物忌やなにやとおりあし」
とて、え御覧ぜさせず」
とてもてかへるほどに、五六日になりぬ。
おぼつかなうもやありけん、助のもとに
「せちにきこえさすべきことなんある」
とて、よび給。
「いまいま」
とてあるほどに、つかひはかへしつ。そのほどに雨ふれど
「いとほし」
とていづるほどに、文とりてかへりたるを見れば、くれなゐの薄様ひとかさねにて、紅梅につけたり。ことばは、
「石の上(かみ)といふことは、しろしめしたらんかし、
はるさめにぬれたる花のえだよりも 人しれぬみのそでぞわりなき
あが君、あが君、なほおはしませ」
とかきて、などにかあらん
「あが君」
とある上はかい消ちたり。助、
「いかがせん」
といへば、
「あなむつかしや、道になんあひたるとて、まうでられね」
とて出だしつ。かへりて、
「などか、御消息きこえさせ給ふあひだにても、御かへりのなかるべき」
と、いみじううらみきこえ給ひつる」
などかたるに、いま二日三日許(ばかり)ありて、
「からうじて見せたてまつりつ。の給ひつるやうは、
「なにかは、いまおもひさだめてとなんいひてしかば、かへりごとははやうおしはかりてものせよ。まだきに来(こ)むとあることなん、便(びん)なかめる。そこにすむめありといふことは、なべてしる人もあらじ。人、異様(ことやう)にもこそ聞け」
となんの給」
ときくに、あな腹だたし、その言はん人を知るはなぞ、と思ひけんかし。
さてかへりごと、今日ぞものする。
「このおぼえぬ御消息は、この除目(ぢもく)の徳にやと思ひたまへしかば、すなはちもきこえさすべかりしを、
「殿に」
などの給はせたることのいとあやしうおぼつかなきを、たづねはべりつるほどの、もろこし許(ばかり)になりにければなん。されどなほ心えはべらぬは、いときこえさせんかたなく」
とてものしつ。はしに、
「曹司にとのたまはせたる武蔵は、
「みだりに人を」
とこそきこえさすめれ」
となむ。さてのち、おなじやうなることどもあり。かへりごと、たびごとにしもあらぬに、いたうはばかりたり。