職の御曹司におはします頃、西の廂にて
其の三
里にても、まづあくるすなはち、これを大事にて見せにやる。十日のほどに、
「五日待つばかりはあり」
といへば、うれしくおぼゆ。また、昼も夜もやるに、十四日夜さり、雨いみじう降れば、これにぞ消えぬらむと、いみじう、いま一日二日も待ちつけでと、夜もおきゐていひなげけば、聞く人もものぐるほしとわらふ。人の出でていくにやがておきゐて、下衆おこさするに、さらにおきねば、いみじうにくみ腹立ちて、おき出でたるやりて見すれば、
「わらふだのほどなむ侍る。こもり、『いとかしこうまもりて、わらはべも寄せ侍らず。あすあさまでもさぶらひぬべし。禄給はらむ』と申す」
といへば、いみじううれしくて、いつしかあすにならば、歌よみて、ものに入れて参らせむと思ふ。いと心もとなくわびし。
くらきにおきて、おりびつなど具せさせて、
「これにその白からむ所入れて持てこ。きたなげならむ所かきすてて」
などいひやりたれば、いととく持たせたる物をひきさげて、
「はやくうせ侍りにけり」
といふに、いとあさましく、をかしうよみ出でて人にも語り伝へさせむと、うめき誦(ずん)じつる歌も、あさましうかひなくなりぬ。
「いかにしてさるならむ。昨日までさばかりあらむものの、夜のほどに消えぬらむこと」
といひくんずれば、
「こもりが申しつるは、『昨日いとくらふなるまで侍りき。禄給はらむと思ひつるものを』とて、手をうちてさはぎ侍りつる」
などいひさわぐに、内裏より仰せごとあり。
「さて雪は、けふまでありや」
と仰せごとあれば、いとねたうくちをしけれど、
「『年の内、一日までだにあらじ』と人々の啓し給ひしに、昨日の夕暮れまで侍りしは、いとかしこしとなむ思う給ふる。けふまでは、あまりことになむ。『夜のほどに、人のにくみてとりすてて侍』と啓せさせ給へ」
など聞こえさせつ。
廿日まゐりたるにも、まづこのことを御前にてもいふ。
「身は投げつ」
とて、蓋のかぎり持てきたりけむ法師のやうに、すなはち持てきたりしがあさましかりしこと、物の蓋に小山作りて、白き紙に歌いみじう書きてまゐらせむとせしこと、など啓すれば、いみじく笑はせ給ふ。御前なる人々も笑ふに、
「かう心に入れて思ひたることをたがへたれば、罪うらむ。まことは四日の夜、侍どもをやりて、とりすてしぞ。返りごとにいひあてしこそ、いとをかしかりしか。その女出できて、いみじう手をすりていひけれども、『仰せごとにて。かの里よりきたらむ人に、かく聞かすな。さらば屋うちこぼたむ』などいひて、左近の司の南の築土(ついじ)などにみなすててけり。『いと固くて、おほくなむありつる』などぞいふなりしかば、げに廿日も待ちつけてまし。今年の初雪も降りそひてなまし。上も聞こしめして、『いと思ひやりふかくあらがひたり』など殿上人どもなどに仰せられけり。さてもその歌語れ。いまかくいひあらはしつれば同じこと。勝ちたるなり」
と御前にも仰せられ、人々ものたまへど、
「なでふにか、さばかり憂きことを聞きながら啓し侍らむ」
など、まことにまめやかにうんじ心うがれば、上もわたらせ給ひて、
「まことに年ごろはおぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと見し」
など仰せらるるに、いとどうく、つらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。
「いであはれ。いみじく憂き世ぞかし。のちに降り積みて侍りし雪を、うれしと思ひ侍りしに、『それはあひなし、かきすててよ』と仰せごと侍りしよ」
と申せば、
「勝たせじとおぼしけるななり」
とて上も笑はせ給ふ。