職の御曹司におはします頃、西の廂にて
其の一
師走(しはす)の十余日のほどに、雪いみじう降りたるを、女官どもなどして、縁にいとおほく置くを、おなじくは、庭にまことの山をつくらせ侍らむとて、侍(さぶらひ)召して、仰せごとにていへば、あつまりてつくる。主殿(とのもり)の官人の、御きよめに参りたるなども、みな寄りて、いとたかうつくりなす。宮司なども参りあつまりて、こと加へ興ず。三四人参りつる主殿寮(とものづかさ)のものども、廿人ばかりになりにけり。里なる侍(さぶらひ)、召しにつかはしなどす。
「けふこの山つくる人には、日三日たぶべし。また、参らざらむものは、また同じ数とどめむ」
などいへば、聞きつけたるは、まどひ参るもあり。里とをきは、え告げやらず。
つくりはてつれば、宮司召して、絹二結ひとらせて、縁になげいだしたるを、ひとつとりにとりて、拝みつつ、腰にさしてみなまかでぬ。うへの衣などきたるは、さて狩衣(かりぎぬ)にてぞある。
「これ、いつまでありなむ」
と人々にのたはするに、
「十日はありなむ」「十余日はありなむ」
など、ただこのころのほどをあるかぎり申すに、
「いかに」
と問はせ給へば、
「睦月の十余日までは侍りなむ」
と申すを、御前にも、えさはあらじとおぼしめしたり。女房はすべて
「年のうち、つごもりまでもえあらじ」
とのみ申すに、あまりとほくも申しつるかな、げにえしもやあらざらむ、一日などぞいふべかりける、と下には思へど、さはれ、さまでなくともいひそめてむことはとて、かたうあらがひつ。
五日のほどに雨ふれど、消ゆべきやうもなし。すこしたけぞ劣りもてゆく。
「白山の観音これ消えさせ給ふな」
などといのるもものくるほし。
さて、その山つくりたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥(しとね)さしいだしてものなどいふに、
「けふ雪の山つくらせ給はぬところなむなき。御前の壺にもつくらせ給へり。春宮にも弘徽殿にもつくられたり。京極殿にもつくらせ給へりけり」
などいへば、
ここにのみめづらしとみる雪の山所所にふりにけるかな
とかたはらなる人していはすれば、度々かたぶきて、
「返しはつかうまつりけがさじ。あざれたり。御簾の前にて人にを語り侍らむ」
とて立ちにき。歌いみじうこのむと聞くものを、あやし。御前にきこしめして、
「いみじうよくとぞ思ひつらむ」
とぞのたまはする。
つごもりがたに、すこしちひさくなるやうなれど、なほいとたかくてあるに、昼つかた、縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。
「など、いとひさしう見えざりつる」
と問へば、
「なにかは。心憂きことの侍りしかば」
といふ。
「何事ぞ」
と問ふに、
「なほかく思ひ侍りしなり」
とて、ながやかによみいづ。
浦山しあしもひかれずわたつ海の いかなる尼にものたまふらむ
といふを、にくみ笑ひて、人の目も見いれねば、雪の山にのぼりかかづらひありきていぬるのちに、右近の内侍に、かくなむといひやりたれば、
「などか人そへてはたまはせざりし。かれがはしたなくて、雪の山までのぼりつたよひけむこそ、いとかなしけれ」
とあるを、また笑ふ。
其の三