アケメネス朝ペルシアによる再統一
この4王国が分立する状況を打破し、再びオリエントを統一したのが、イラン高原の南西部(パールス地方)から興った
アケメネス朝ペルシアです 。 建国者のキュロス2世は、紀元前550年に
メディアを滅ぼして自立し、続いてリディアと
新バビロニアを征服しました 。彼はバビロン捕囚にあったユダヤ人を解放するなど、寛容な政策をとりました 。息子のカンビュセス2世はエジプトを征服し、紀元前525年にオリエント全土を統一しました 。 第3代の
ダレイオス1世の時代に、アケメネス朝は最盛期を迎えました 。彼は東はインダス川流域から西はエーゲ海北岸に至る大帝国を建設しました 。 ダレイオス1世は中央集権的な統治体制を完成させました 。全国を約20の州(サトラピー)に分け、各州に知事(サトラップ)を置いて統治させました 。また、
王の目・王の耳と呼ばれる監察官を巡回させ、サトラップを監視しました 。 交通網の整備にも力を入れ、「王の道」と呼ばれる幹線道路を建設し、駅伝制を整えました 。スサからサルデスに至る王の道は特に有名です 。新都
ペルセポリスの建設も行われました 。 アケメネス朝は、アッシリアとは異なり、被征服民の宗教や慣習を尊重する寛容な統治を行いました 。公用語にはアラム語を採用し、貨幣制度も整備しました 。 宗教は、イラン人独自の
ゾロアスター教(拝火教)が信仰されました 。この宗教は、世界を善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの闘争と捉える善悪二元論や、最後の審判の思想を特徴とし、後のユダヤ教やキリスト教にも影響を与えました 。 アケメネス朝は、紀元前5世紀にギリシアとの間でペルシア戦争を戦いましたが敗北し、その後衰退に向かいました 。最終的に紀元前330年、マケドニアの
アレクサンドロス大王によって滅ぼされました 。