ペルセポリスとは
ペルセポリスは、古代ペルシャ帝国のアケメネス朝の王都であり、その壮大な遺跡は現在のイラン南部、ファールス州の高原に位置しています。紀元前520年にダレイオス1世によって建設が始まり、その後クセルクセス1世やアルタクセルクセス1世の時代にかけて約60年かけて完成しました。
歴史的背景
ペルセポリスは、アケメネス朝ペルシア(紀元前550年〜紀元前330年)の時代に建設されました。この時代、ペルシャ帝国は西はエーゲ海、東はインダス川まで広がる広大な領土を持っていました。ダレイオス1世は、ペルセポリスを宗教的および儀式的な中心地として設計し、帝国の新年祭を祝う場として使用しました。
建築と構造
ペルセポリスの遺跡は、自然の岩盤を利用して建設され、20メートルほどの基壇の上に建物が建てられています。遺跡の敷地は長辺が約450メートル、短辺が約300メートルの広大なもので、主要な建造物にはアパダーナ(謁見の間)、王座殿、クセルクセス門、タチャラなどがあります。
アパダーナ: 最も豪華で規模の大きい宮殿で、110メートル四方の敷地に高さ72メートルの柱が72本立っていました。東の階段には、各地からの朝貢団が描かれたレリーフが残っています。
王座殿: アパダーナに次ぐ規模の建物で、クセルクセス1世の時代に建設され、その息子アルタクセルクセス1世によって完成しました。ここには100本の柱が並ぶ「百柱の間」があります。
クセルクセス門: 「万国の門」とも呼ばれる壮麗な門で、入口には人面有獣神像が左右に並び、柱の高さは16メートル以上あります。
タチャラ: クセルクセス1世の宮殿で、アレクサンドロス大王の破壊を免れた場所の一つです。入口の門には有名なライオンやペルシャの兵士が描かれたレリーフが残っています。
文化的意義と世界遺産登録
ペルセポリスは1979年にユネスコの世界遺産に登録されました。その理由として、以下の点が挙げられます:
創造的才能の表現: ペルセポリスの建築物は、人類の創造的才能を表現する傑作とされています。
文化的伝統の証拠: この壮大な遺跡は、古代オリエント世界において独自で他に同等のものがない建築物の集合体であることを示しています。
顕著で普遍的な意義: ペルセポリスはアケメネス朝の王権の象徴であり、各国の朝見団が訪れ、国の繁栄などを願う儀礼が行われた都市です。
破壊とその後
紀元前331年、マケドニアのアレクサンドロス大王によってペルセポリスは攻撃され、破壊されました。その後、都市は廃墟となり、現在に至るまでその壮大な遺構が残されています。20世紀前半からは発掘調査が行われ、大量の碑文や楔形文字で刻まれた粘土板などが発見されました。