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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / 古代オリエント世界

メディアとは わかりやすい世界史用語234

著者名: ピアソラ
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メディアとは

メディアは現在の北西イランと南東トルコにあたる地域に存在した古代国家です。メディアの首都はエクバタナと呼ばれ、アケメネス朝帝国の時代に非常に有名になりました。メディアは歴史の短い期間に独立した文明として存在しましたが、通常はより大きな外国の支配下にあり、その文化は支配者に大きく影響を受けました。アッシリア人からペルシャ人、アレクサンダー大王に至るまで、メディアの王国は歴史を通じて何度も手が変わりました。

メディア文明は、青銅器時代の崩壊の周辺で移動してきた遊牧民族によって始まったと考えられています。この時期の政治的、社会的、経済的不安定さは、遊牧民族の大規模な移動と文明世界への流入を見ました。この時代の偉大な文明であるアッシリア、バビロニア、エラムも青銅器時代の崩壊中に停滞期を経験しており、国境近くに定住する者を防ぐことができませんでした。これにより、新しい人々がこの地域に流入し、新しい文明を確立することが可能になりました。

ヘロドトスの記述によると、ブサエ、パレタケニ、ストゥルカテス、アリザンティ、ブディイ、マギの6つの部族が集まってメディアを形成しました。彼らが建設した主要都市はエクバタナ、ラオディキア、ラゲスであり、6つの部族はこれらの都市が形成する地理的な三角形の中に住んでいました。また、アパメアというもう一つの主要都市がありましたが、現代ではその正確な場所はわかっていません。6つのメディア部族の中で、マギは現在のテヘランであるラガに住んでいました。パレタケニはアスパダナに、アリザンティはカシャン周辺に、ブサエはエクバタナ周辺に住んでいました。他の2つの部族であるストゥルカテスとブディイは、これらの都市が形成する三角形の中にある小さな村に住んでいました。



メディアの元々の言語は不明であり、マギに基づいたミトラまたはマズダ教を信仰する独特の宗教を持っていました。メディアの最後の王の治世中には、ザラスシュトラの改革が文明の文化と宗教に影響を与えました。

その後メディアの西部はアッシリア人の征服によって落ちました。アッシリア人は停滞期から脱し、新たな征服と帝国建設の時代に入りました。メディアとアッシリアの間には、ティグラト・ピレセル三世、サルゴン二世、センナケリブ、エサルハドン、アシュールバニパル、アシュール・エティル・イラニの王たちの間に封臣条約が結ばれていたことが知られています。これにより、メディアはまだ部分的に遊牧民であったスキタイ人やキンメリア人からの保護を保証され、またアッシリアに経済的に接続されることで文明が繁栄することができました。

メディアは、新バビロニアと同盟を結び、アッシリアを倒しましたが、その後アケメネス朝に滅ぼされました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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