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18_80 ヨーロッパの拡大と大西洋世界 / 主権国家体制の成立

オランダの繁栄 ~オラニエ公ウィレムとユトレヒト同盟 オランダ独立戦争~

著者名: エンリケ航海王子
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オランダ独立戦争

圧政に反対するネーデルラントの市民は、1568年、オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)を中心に団結し、独立戦争を開始します。

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(オラニエ公ウィレム)

独立戦争が始まった当初、南部、北部ネーデルラントは団結していましたが、スペインに再占領された南部10州はアラス同盟を結成し、スペインへ服従してしまいます。


この南部10州は現在のベルギーです。オランダとベルギーはもともと同じ地域だったんですね。


残った北部7州は、1579年にユトレヒト同盟を結成し、1581年にはネーデルラント連邦共和国の独立を宣言します。このとき以来、北部の有力州だったホラント州にちなみ、オランダという国名が使われるようになるのです。

独立以後、オランダは反スペインの独立戦争を継続していきます。

オランダには、支援国としてイギリスがいました。反スペインのイギリスの様々な支援のもと、1609年に休戦協定を結び事実上の独立を果たし、1648年のウエストファリア条約によって国際的な承認を得ます。

このように、オランダ独立戦争は足掛け80年間にわたって行われたので、別名80年戦争とも言われます。

独立後の繁栄

オランダは独立後、急速に発展していきます。
南部から移った有力商人たちはアムステルダムを中心に集まり、様々な商業活動に従事します。
1602年の東インド会社の設立と東アジアの香辛料貿易やニューネーデルラントなどのアメリカ植民地の獲得、奴隷貿易、陶器産業、造船産業などによって莫大な富を築き上げます。

また、商業の他に金融業もオランダは力を入れたため、多方面でヨーロッパの経済の中心となっていきました。

おわりに

オランダ商人の商才は、スペインが最後まで手放したくなかったものだったのでしょう。この後オランダはヨーロッパ全土から様々な哲学者や芸術家を引き寄せ、文化面でも成熟した国家となっていきます。
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