スペイン絶対王政の確立
隣国ポルトガルと争いながら、大航海時代のさきがけとなったスペインは、1494年、
トルデシリャス条約によってローマ教皇から世界分割のお墨付きを得ます。
トルデシリャス条約とは、コロンブスの新大陸発見に際して、時の教皇アレクサンデル6世が1493年に制定した教皇子午線を西方に移動し、それぞれの勢力圏を取り決めた条約のことです。これによって現在のブラジルを除く南米はスペインの勢力圏となりました。
これによって、スペインは広大な植民地を基盤とした国家運営を行うようになります。
1516年に、オーストリアのハプスブルク家からきた
カルロス1世がスペイン王として即位します。また彼は三年後の1519年に、ライバルのフランス王
フランソワ1世を破り、神聖ローマ帝国皇帝
カール5世として即位します。
(カルロス1世=カール5世像)
ハプスブルク家とは、13世紀から19世紀にかけて、神聖ローマ帝国やオーストリア帝国の帝位についた王家のことです。1273年に初めて神聖ローマ皇帝が一族から出て以来、オーストリア=ハプスブルク家としてヨーロッパに君臨しました。また、スペイン王家との婚姻によりスペイン=ハプスプルク家(1516~1700年)をも形成しヨーロッパに大帝国を築きます。ハプスブルク家は16 世紀以降フランスのヴァロワ朝やブルボン朝と対立しながらヨーロッパの中心となっていきます。
この時以降、1556年の退位まで、カルロス1世はスペイン、神聖ローマ帝国、ネーデルラント、ミラノ、トスカナ、サルジニア、ナポリ、シチリアなど、ヨーロッパ各地域と新大陸を含む広大な領土を支配するようになったのです。こうして、スペインの絶対王政が確立していきます。
フェリペ2世と太陽の沈まぬ国
カール5世は、広大な大帝国を支配しましたが、一方でフランスとのイタリア戦争や、宗教改革によって誕生したプロテスタントへの対抗など、様々な問題を抱えていました。
諸問題に対処しきれなくなったカルロス1世は、1556年退位を決意します。神聖ローマ帝国の帝位を弟の
フェルディナンド1世に、スペインの王位を息子の
フェリペ2世に譲ったのです。
(フェリペ2世像)
フェリペ2世は即位すると、イタリア戦争を終結させるために条約を結びます。
1559年の
カトー=カンブレジ条約です。
また、フェリペ2世はカトリック教徒のイギリス女王
メアリ1世と政略結婚し、名実ともにカトリックの盟主となります。この後フランスの宗教改革に介入したり、メアリ1世の後即位したプロテスタントの
エリザベス1世と激しく争うようになります。
他方地中海では、勢力を拡大していた
オスマン帝国とも戦います。
オスマン帝国は、1538年に
プレヴェザの海戦でスペイン、ヴェネツィア、ローマ教皇連合軍を破って以来、クレタとマルタを除く地中海の制海権を握っていました。
カトリックの盟主であるスペインにとって、イスラム教国オスマン帝国との再戦は避けられませんでした。
1571年、スペインを主力とした連合軍がギリシアのコリント湾内にあるレパントでトルコ海軍を粉砕します。
1580年には王家断絶の混乱に乗じて、ポルトガルを併合し、スペインは大帝国を形成します。
スペインの全盛期、その領土は地球全体に散らばっていました。そのため、ヨーロッパで日が沈んだ後でも、世界各地の領土では日がのぼっているということから、全盛期のスペインは「太陽の沈まぬ国」と言われました。