ルターの登場
マルティン=ルターは厳しい戒律で知られるアウグスティヌス修道会で神学を学んだ、
ヴィッテンベルク大学の神学教授でした。
(ルター像 ルーカス=クラナッハ画)
ドイツでは、16世紀初めからローマ・カトリック総本山の
サン=ピエトロ大聖堂の建築費を賄うために、教皇の許可を得た大商人
フッガー家によって
贖宥状(免罪符)の販売が行われていました。
(サン=ピエトロ大聖堂)
贖宥状(免罪符)とは、購入すれば罪が許されるとしたカトリック教会公認の証明書のことです。
厳格な信仰を学んだルターは、カトリックの腐敗に怒りを抱きます。
1517年、ルターはヴィッテンベルク城内の教会に
九十五ヶ条の論題を貼付け、贖宥状販売を徹底的に批判します。
(ヴィッテンベルク教会の九十五ヶ条の論題)
ルターは、この論題で贖宥状の救済の根拠はなく、信者は信仰によってのみ救われると主張したのです。
この主張は印刷されドイツ各地に広がり、大きな反響を呼びます。
ただし、この時ルターは、カトリックそのものを否定してはいませんでした。純粋に神学上の意見を述べていたのです。