枕草子『この草子、目に見え心に思ふことを』
このテキストでは、
清少納言が書いた
枕草子の一節『
この草子、目に見え心に思ふことを』の原文、現代語訳(口語訳)とその解説を記しています。
※清少納言は平安時代中期の作家・歌人です。一条天皇の皇后であった中宮定子に仕えました。そして枕草子は、兼好法師の『徒然草』、鴨長明の『方丈記』と並んで「古典日本三大随筆」と言われています。
原文(本文)
この草子、目に見え心に思ふことを、人
やは見むとすると思ひて、つれづれなる
里居のほどに書き集めたるを、
あいなう、人のために
便なき言ひ過ぐしもしつべきところどころもあれば、よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏り出でにけれ。
宮の御前に、内大臣の奉り給へりけるを、
「これに何を書かまし。上の御前には、史記といふ書をなむ書かせ給へる。」
などのたまはせしを、
「枕にこそははべらめ。」
と申ししかば、
「さは、得てよ。」
とて給はせたりしを、あやしきを、こよやなにやと、尽きせず多かる紙を、書き尽くさむとせしに、いと
物覚えぬことぞ多かるや。
おほかたこれは、世の中に
をかしきこと、人の
めでたしなど思ふべき、なほ選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも、言ひ出したらばこそ、
「思ふほどよりはわろし。心見えなり。」
と
そしられめ、ただ心一つに、おのづから思ふことを、たはぶれに書きつけたれば、ものに立ちまじり、人並み並みなるべき
耳をも聞くべきもの
かはと思ひしに、
なんどもぞ、見る人はし給ふなれば、いと
あやしうぞあるや。げに、そも
ことわり、人の
憎むをよしと言ひ、ほむるをもあしと言ふ人は、心の
ほどこそ推し量らるれ。ただ、人に見えけむぞ、
ねたき。
左中将、まだ伊勢守と
聞こえしとき、里に
おはしたりしに、端の方なりし
畳をさし出でしものは、この草子載りて出でにけり。
惑ひ取り入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞ本に。
現代語訳(口語訳)
この草子(枕草子)は、(私の)目に見え心に思うことを、人が見ようとするだろうか、いやするまいと思って、退屈な里下がりの間に書き集めたのですが、あいにく、他の方にとって都合が悪く言い杉過ぎをしてしまったこともあるので、うまく隠しておいたと思ったものの、思いがけず、よそに漏れでてしまったのでした。
(もともとこの草子は)中宮定子様に、内大臣殿が謙譲なさったものなのですが、(中宮定子様は)
「これに何を書いたらよいかしら。帝は、史記という書物をお書きになられていますわ。」
などとおっしゃられたので、(私は)
「枕でございましょう。」
と申し上げたところ、(中宮定子様が)
「それでは、(そなたに)あげよう。」
とおっしゃって、(私に)くださったのですが、(私は)そのような柄でもないので、あれやこれやと、尽きることのないほど多い紙を(文章で)書きつくそうとしたので、たいそうわけのわからないことが多いのです。
そもそもこれは、世の中で興味が惹かれること、人がすばらしいなどと思うであろうことを、より選びだして、歌などや、木・草・鳥・虫のことなどを書いたのならば、
「思うほどはよくない。(作者の)心が見え透いている。」
と非難されるでしょう。(ですがこの草子は、)ただ私の心の中だけに、自然と思うことを、たわむれに書きつけたことですので、他の著書と交じって、それら並みの評判を聞けずはずがあろうか、いやないと思っていたのです。(ところが)
「素晴らしい。」
などと、(この草子を)見る人はおっしゃるそうなので、とても不思議なことです。本当に、それも道理で、人が非難するものを良いと言って、人が褒めるものを良くないと言う人は、(その)心の程度が推し量られるものです。ただ、(この草子が)人に見えたであろうことが、しゃくにさわるのです。
左中将殿が、まだ伊勢守と申し上げたとき、(私の)住んでいる所にいらっしゃったのですが、端の方においてあった畳を差し出したところ、この草子が(畳に)のって(人目につくところに)出ていました。あわてて中に入れたのですが、(左中将殿は)そのままお持ちになって、ずいぶんと長く経ってから返ってきました。そのときから出回り始めたようです、と(元本の)草子に(書いてあります)。
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