反教皇の立場へ
贖宥状販売を批判したルターは、ローマ教会に告発されます。そして、1519年に教皇側の論者ヨハン=エックと
ライプツィヒで公開討論会を行い、ルターは自分がフスの意見に立脚していることを証言して、異端となりました。ここではじめて、ルターは反教皇としての立場にたったのです。
教皇から破門されたルターは、「キリスト者の自由」、「ドイツ国民のキリスト教貴族に与う」、「教会のバビロン捕囚」の三冊を著し、ドイツ諸侯の共感を得ます。
ドイツ国内の多くの都市や諸侯がルターを支持しましたが、この状況に危機感を覚えたのが先の神聖ローマ帝国の皇帝カール5世です。
もともとカールは各地の諸侯を服従させて、ドイツ国内を統一しようとしていました。ところが、信仰上や政治的な理由で、バラバラだったドイツ諸侯が、ルターの旗印のもと団結し始めたのです。
帝国の大きな危機と感じたカール5世は、1521年ルターを
ヴォルムスの国会に召喚して自説の撤回を求めます。しかしルターはそれを拒否したため、彼は法律の保護外に置かれました。
(ヴォルムスの国会)
法律の保護外に置かれたため、暗殺の危険があったルターですが、その後反皇帝派の有力諸侯の
ザクセン選帝侯フリードリヒにかくまわれ、ヴァルトブルク城で
聖書のドイツ語訳に専念することになります。
この翻訳活動が、ルターの最大の功績と言われるようになります。
というのも、聖書はそれまでラテン語で書かれていたので、聖職者のみが言葉を理解し、信者に信仰を伝えていました。つまり一般人の多くは、聖書を読むことが出来なかったのです。これがカトリックにおける聖職者の権力の源でした。
ところが、ルターの翻訳によって、ドイツ語で読めるようになり、聖書がより身近になります。加えて後年グーテンベルクによって発明される活版印刷の技術で聖書は大量に印刷され、一般の家庭にも置かれるようになるのです。
一般人が聖書を直接読むことが出来るようになり、ルターの主張が人々に認識されるようになっていきます。