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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 江戸時代

徳川吉宗が行った享保の改革とは

著者名: 早稲男
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徳川吉宗

当時財政難に陥っていた江戸幕府の再建に乗り出したのが、8代将軍、徳川吉宗です。彼の行った政策を享保の改革といいます。

享保の改革

この享保の改革は、松平定信が行った寛政の改革水野忠邦が行った天保の改革と並んで、江戸時代の三大改革のひとつと呼ばれており、この違いはテストでもよく聞かれるところなので、しっかりと抑えておいてください。

背景

当時の幕府の収入源は、農民から納められる年貢でした。この時期に飢饉が続いたことが幕府の財政を逼迫させていました。

また幕府の御家人たちは、給料は米でもらいそれを現金に変えて生活をしていました。ところがこの米の相場は一定なものではないので、同じ米の量であっても、毎回手に入る現金は不安定なものでした。そのような背景から、幕府や武士の財政が厳しくなっていたのです。

享保の改革は、財政の再建と幕府の体制の立て直しを図った改革です


優秀な人材の登用

それまで政策を担っていた新井白石間部詮房(まなべあきふさ)らを解任し、家柄にしばられない人事を行いました。
大岡忠相(大岡越前守としても知られています)を南町奉行に抜擢したのは特に有名な人事です。
大岡忠相は、頻繁に火事に見舞われた現状を打破するために、町火消し(消防隊)を結成させました。

法令の整備

公事方御定書

犯罪と裁判についてフォーカスされた幕府の法律です。本来は幕府の領内のみで有効だったはずでしたが、いつの間にか全国に知られる法律となりました。

相対済令

武士が商人にお金を借りるというこの時代、金銭的なトラブルが絶えず、奉行所の負担も相当なものでした。そこで幕府は、この金銭的なトラブルで奉行所に訴えを起こしてもとりあわない、当事者で解決しなさいという相対済令を発令したのです。

足高の制

付いている役職によって、給料(もらえる米)を明確に定めました。

目安箱

町に目安箱と呼ばれる箱を設置しました。
これは庶民が幕府に言いたいことを伝えるための意見箱です。実際に吉宗自らこの意見に目を通し、庶民の要望から、小石川養生所を設置しました。

財政再建

倹約令

すべての藩に倹約を行うよう倹約令を出して、無駄な支出を抑えるよう命じました。
上米の制

所領1万石につき100石を幕府に納めるよう諸藩に命じました。
ただ納めるように言い渡しただけでは、家臣から反感を買ってしまいますので、その代わりに参勤交代の期間を1年から半年にするという条件つきでした。

年貢の率を一定に

年貢の数え方を検見法から定免法に変更しました。
検見法とは、毎年の米の収穫に合わせて、納める年貢を決めるというやり方でしたが、それを収穫量に関係なく、毎年同じ量の年貢を納めるように言い渡したのです。これによって幕府は安定した収入を得られるようになりました。

一方で年貢を納める農民たちにとっては、豊作であっても不作のであっても納める年貢が同じですので、前者の場合には問題がありませんが、後者の場合には大変な苦労を強いられたようです。

まとめ

このように、吉宗は米を中心として財政を回復させようとしたことから米将軍の異名をとっています。

江戸の三大改革の中で、一番抗力を発揮したのはこの享保の改革でした。


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『教科書 詳解 日本史B』 三省堂
『日本史用語集』 山川出版

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