東ヨーロッパ世界の発展で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
ビザンツ(東ローマ)帝国とは
・
395年、
テオドシウス帝がローマ帝国を東西に分け、長男
アルカディウスに東を、次男
ホノリウスに西を与えた。
西ローマ帝国は
476年に
オドアケルによって滅ぼされるが、
東ローマ帝国はその後も1000年あまり続いた。東ローマ帝国は、首都
コンスタンティノープルの旧名
ビザンティウムに由来する
ビザンツ帝国とも呼ばれる。
ユスティニアヌス帝と絶頂期
・ビザンツ帝国の初期の絶頂期は、
ユスティニアヌス帝(在位527~565)によって現出した。ユスティニアヌス帝は、ローマ帝国の旧領土の回復を目指し積極的な外征を行い、
534年に北アフリカの
ヴァンダル王国、
555年にイタリアの
東ゴート王国を征服し、西ゴート王国からイベリア半島の一部を奪った。また、東方では
ササン朝ペルシアの
ホスロー1世と戦い、地中海の制海権を確保した。一方内政面では、首都コンスタンティノープルに
聖ソフィア聖堂を再建し、法学者
トリボニアヌスにローマ法の集大成である『
ローマ法大全』を編纂させた。また中国から
養蚕業を導入し、絹織物業を主要な産業とした。
ヘラクレイオス1世の治世
・広大な領土の維持はビザンツ帝国の国家財政の大きな負担となり、重税は各地で反乱を招いた。ユスティニアヌス帝の死後、北イタリアは
ロンバルド族に征服され、東方ではササン朝の侵攻が激しくなり、
アヴァール人・スラヴ人もバルカン半島から南下した。こうした危機的状況に即位したのが、
ヘラクレイオス1世(在位610~641)である。ヘラクレイオス1世は、当時急速に拡大していた
イスラーム勢力に対抗するため、防衛力の強化を目指し、
軍管区制(テマ制)と
屯田兵制を整備した。
レオン3世と聖像禁止令
・小アジア地方のイスラーム勢力を撃退した
レオン3世は、
726年
聖像禁止令を発布した。これは、イエスや聖人をかたどった偶像を禁止するもので、
偶像崇拝を厳しく禁じて勢力を拡大していた
イスラームに対抗するため、皇帝専制政治の障害となっていた
聖像崇拝派の修道院の大土地所有を抑えるために行われた。
・聖像崇拝論争は、ビザンツ皇帝とローマ教皇の間で762年以降対立が続き、
1054年東西教会が互いに破門する
大シスマとなり、以後西方教会のローマ=カトリック、東方教会の
ギリシア正教会に完全に分裂した。ギリシア正教会の首長は
コンスタンティノープル総主教といわれ、その任命権はビザンツ皇帝がもった。そのため、ビザンツ帝国では、政治と宗教の権力を皇帝が握る
皇帝教皇主義という体制となった。中期ビザンツは、
バシレイオス1世からはじまった
マケドニア朝のもと、10世紀後半にイスラーム勢力やブルガリアを撃退し、勢力を拡大した。
ビザンツ帝国の衰退
・11世紀末に、宮廷内の混乱を収め即位した
コムネノス朝の
アレクシオス1世は、新しい土地制度として
プロノイア制をはじめた。対外的には
セルジューク朝と戦い、西方教会のローマ教皇に
十字軍を要請した。
・
1204年には、ビザンツ帝国と交易上の対立があった
ヴェネツィア主導のもと
第4回十字軍が派遣され、同じキリスト教国のビザンツ帝国の首都
コンスタンティノープルが占領され、
ラテン帝国が建国された。これによりビザンツ帝国は一時的に中断するが、残存勢力が
ニケーア帝国を建て生き残り、
1261年ジェノヴァからの支援をうけ、コンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国を再興した。
・ビザンツ帝国の再興により、最後の
パラエオロゴス朝が成立したが、新たにバルカン半島で勢力を拡大した
セルビア王国や
オスマン帝国の圧力により、領土が縮小していった。オスマン帝国はその後も勢力を拡大し、
ニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムント率いるキリスト教徒軍を撃破した。最終的に
1453年、オスマン帝国軍によりコンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国は滅亡した。(1453年は
コロンブスが新大陸に到達した年でもある。)
ビザンツ文化
・ビザンツ帝国は、ヘレニズム文化をもとにしながら、ギリシアの古典文化を保存・継承し、ローマやオリエントの文化を融合した独自の
ビザンツ文化を作り出した。
・ビザンツ文化の歴史的意義は、
ギリシアの古典・文化を継承し、これらをイスラームや西ヨーロッパへ伝えたことと、スラヴ人にビザンツ文化とギリシア正教を伝え、
東ヨーロッパ文化圏を形成したことである。
・ビザンツ建築では、
コンスタンティノープルの
聖ソフィア聖堂や
ラヴェンナの
サン=ヴィターレ聖堂、
ヴェネツィアの
サン=マルコ聖堂などが有名である。これら教会は、
ドームと
モザイク壁画、
イコンなどで装飾され、
ビザンツ様式という建築様式で建てられた。
・交易も盛んだったビザンツ帝国では、
ノミスマ(ラテン語で
ソリドゥス)という金貨が発行され、中世の地中海世界の基軸通貨となった。