史記『項王の最期・項王自刎』原文・現代語訳(口語訳)と文法を徹底解説!
このテキストでは、
史記の一節『
項王の最期・項王自刎』(
於是項王乃欲東渡烏江〜)の原文(白文)、書き下し文、わかりやすい現代語訳(口語訳)とその解説を記しています。書籍によっては『
項王最期』や『
四面楚歌』の中の一節と題するものもあるようです。
※「自刎」は「じふん」と読み、「自分で自分の首を切る」ことを意味します。
史記とは
史記は前漢の第7代皇帝であった
武帝(在位期間:前141年3月9日 - 前87年3月29日)の時代に、
司馬遷(しば せん)によって編纂された歴史書です。
白文(原文)
於是項王乃欲東渡烏江。
烏江
亭長檥船待。
謂項王曰、
「江東雖小、地方千里、衆数十万人。
亦足王也。
願大王急渡。
今独臣有船。
漢軍至、無以渡。」
項王笑曰、
「天之亡我、我何渡為。
且籍与江東子弟八千人、渡江而西、今無一人還。
縦江東父兄憐而王我、我何面目見之。
縦彼不言、籍独不愧於心乎。」
乃謂亭長曰、
「吾知公長者。
吾騎此馬五歳、所当無敵。
嘗一日行千里。
不忍殺之、以賜公。」
乃
令騎皆下馬歩行、持
短兵接戦。
独項王所殺漢軍数百人。
項王身亦被十余創。
顧見漢騎司馬
呂馬童曰、
「若非吾故人乎。」
馬童面之、指
王翳曰、
「此項王也。」
項王乃曰、
「吾聞『漢購我頭千金邑万戸。』
吾為若徳。」
乃
自刎而死。
書き下し文
是に於いて項王乃ち東して烏江を渡らんと欲す。
烏江の亭長船を檥して待つ。
項王に謂ひて曰はく、
「江東小なりと雖も、地は方千里、衆は数十万人あり。
亦王たるに足る。
願はくは大王急ぎ渡らんことを。
今独り臣のみ船有り。
漢軍至るも、以て渡ること無からん。」と。
項王笑ひて曰はく、
「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。
且つ籍江東の子弟八千人と、江を渡りて西せしも、今一人の還るもの無し。
縦ひ江東の父兄憐みて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見えん。
縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧ぢざらんや。」と。
乃ち亭長に謂ひて曰はく、
「吾公の長者なるを知る。
吾此の馬に騎すること五歳、当たる所敵無し。
嘗て一日に行くこと千里なり。
之を殺すに忍びず。
以て公に賜はん。」と。
乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持して接戦す。
独り項王の殺す所の漢軍数百人なり。
項王の身も亦十余創を被る。
顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、
「若は吾が故人に非ずや。」と。
馬童之に面し、王翳に指さして曰はく、
「此れ項王なり。」と。
項王乃ち曰はく、
「吾聞く、『漢我が頭を千金・邑万戸に購ふ。』と。
吾若が為に徳せん。」と。
乃ち自刎して死す。
■次ページ:現代語訳(口語訳)と単語・文法解説