徒然草『久しく隔たりて会ひたる人の』原文・現代語訳と解説
このテキストでは、
徒然草の一節『
久しく隔たりて会ひたる人の』の「
久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること~」から始まる部分の原文、現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
徒然草とは
徒然草は
兼好法師によって書かれたとされる随筆です。
清少納言の『
枕草子』、
鴨長明の『
方丈記』と並んで「
古典日本三大随筆」と言われています。
原文(本文)
久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、数々に残りなく語り続くるこそ、
あひなけれ。隔てなく慣れぬる人も、ほど経て見るは、
はづかしからぬ
かは。
つぎさまの人は、
あからさまに立ち出でても、今日ありつることとて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。
よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、
おのづから人も聞くにこそあれ。よからぬ人は、たれともなく、あまたの中に
うち出でて、 見ることのやうに語りなせば、みな同じく笑ひ
ののしる、いと
らうがはし。をかしきことを言ひても
いたく興ぜぬと、興なきことを言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど
計られぬべき。
人の
みざまのよしあし、
才ある人はそのことなど
定め合へるに、おのが身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
現代語訳(口語訳)
長い間離れていて(久しぶりに)会った人で、自分にあったこと(自分の話を)、さまざまに残ることなく語り続けることは、不快である。離れることなく慣れ親しんだ人であっても、しばらくたって会うのは、気まりが悪くはないだろうか、いや気恥ずかしい。二流の人は、ほんのちょっと出かけても、今日起こったことといって、息もつけないほどに面白がって話をするものです。教養のある身分の高い人が話をするときは、(その場に)人が多くいても、(その中の)一人に向かって話をするので、(その他の人も)自然と耳を傾けるのです。教養のない人は、誰に語るというわけでもなく、大勢の中に出しゃばって、(あたかも自分が)目にしているかのように(おおげさに)語り、(その場にいる)皆も同じように大いに笑うので、ひどく騒がしいです。情緒深いことを言っても、それほどおもしろがることもなく、おもしろくないことを言ってもよく笑うというのは、(その人の)品格を推し量ることができるでしょう。
人の外見の良し悪しや、学識のある人はそのことを批評しあうのに、自分の身を引き合い口に出して言うことは、とても興ざめなものです。
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