徒然草『世に従はん人は』
このテキストでは、
徒然草の一節『
世に従はん人は』の原文、現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
※徒然草は
兼好法師によって書かれたとされる随筆です。
清少納言の『
枕草子』、
鴨長明の『
方丈記』と並んで「
古典日本三大随筆」と言われています。
原文(本文)
世に
従はん人は、まづ
機嫌を
知るべし。
ついで悪しき事は、人の
耳にも逆ひ、心にも
違ひて、その事ならず。さやうの
折節を
心得べきなり。ただし、病をうけ、子産み、死ぬる事のみ、機嫌を
はからず、ついで悪しとて
止むことなし。
生住異滅の
移り変はる、
まことの大事は、
猛き河の
みなぎり流るるがごとし。
しばしも
滞らず、直ちに
行ひゆくものなり。されば、
真俗につけて、必ず
果たし遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。
とかくの
もよひなく、足を
踏みとどむまじきなり。
春
暮れて後夏になり、夏
果てて秋の来るにはあらず。春は
やがて夏の気を
もよほし、夏より
既に秋は通ひ、秋は
すなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も
青くなり、梅も
つぼみぬ。木の葉の
落つるも、まづ
落ちて
芽ぐむにはあらず。下より
きざしつはるに
堪へずして落つるなり。
迎ふる気、下に
まうけたるゆゑに、
待ちとるついで甚だ
早し。
生老病死の移り来る事、またこれに
過ぎたり。四季はなほ
定まれるついであり。死期はついでを
待たず。死は前よりしも
来らず、
かねて後ろに
迫れり。人皆死あることを
知りて、待つこと、
しかも急ならざるに、
覚えずして来る。沖の干潟
はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし。
現代語訳(口語訳)
世間に順応しようとする人は、まず(物事の)しおどきを知らなくてはなりません。物事の順序がよくないことは、人の耳にも不愉快に聞こえ、心にも背いて、(とりかかろうとした)その事が成就しません。そのような時節を理解しなければなりません。しかしながら、病気にかかる、子どもを産む、死ぬことだけは、時機を予測せずに(やってきて)、物事の順序がよくないからといって(それらが)治まることはありません。生住異滅が次第に変化することの、本当の重要なことは、勢いが激しい川が満ちあふれて流れるようなものです。(重要なことは、その場に)少しの間も停滞することなく、すぐに進行するものなのです。それゆえ、仏道のことであれ世俗のことであれ、必ず最後までやり遂げようと思うようなことは、時機(が良いか悪いかなどと)言ってはなりません。(やり遂げようと思うようなことには)あれこれと準備することなく、足を踏みとどめてはならないのです。
春が終わったのちに夏になり、夏が終わり秋がやってくるのではありません。春はそのまま夏の気配を誘い、夏の間からももう秋(の気配)が通いだし、秋はすぐに寒くなります。十月は(春を思わせる)小春日和の天気で、草も青くなり、梅もつぼみをつけます。木の葉が散るのも、最初に葉が散って(その後に)芽を出しはじめるのではありません。(葉の)下から芽ぐみ、芽がふくらむのに持ちこたえずに(葉が)散るのです。(葉が散る時機を)待ち受ける生気が、(木の)内部に準備しているので、(葉が散るのを)待ち受け(て芽が出)る順序がとても早いのです。生(まれて)、老(いて)、病(にかかり)、死(んでいく)が移り変わって(人に)来ることは、またこれ(四季の変化)より勝って早いのです。四季は何と言っても(春夏秋冬という)決まった順序があります。(しかし)死期は順序を待ちません。死は必ずしも前からやってくるわけではなく、それと同時に背後に近づいているのです。人々は皆死があることを知っていますが、(死を)待つことが、そんなにも差し迫ってはいないときに、思いがけなくやってきます。(それは)沖の干潟は遠く離れていますが、磯から潮が(一気に)満ちるようなものなのです。
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