平家物語
小教訓
新大納言は、我が身のかくなるにつけても、子息丹波の少将成経以下、幼き人々、いかなる目にかあふらむと思ひやるにもおぼつかなし。さばかりあつき六月に、装束だにもくつろげず、あつさもたへがたければ、胸もせきあぐる心地して、汗も涙もあたそひてぞ流れける。さりとも小松殿は、思し召しはなたじものをと思はれけれども、誰して申すべしともおぼえ給はず。
小松の大臣は、その後はるかに程へて、嫡子権亮少将維盛を車のしりに乗せつつ、衛府四五人、随身二三人召しぐして、兵一人もぐせられず、ことに大様げにておはしたり。入道をはじめ奉て、人々皆思はずげにぞ見給ひける。車よりおり給ふ処に、貞能つっと参って、
「などこれほどの御大事に、軍兵共をば召しぐせられ候はぬぞ」
と申せば、
「大事とは天下の大事をこそ言へ。かやうの私事を、大事と言ふやうやある」
とのたまへば、兵仗を帯したりける者共も、皆そぞろいてぞ見えける。 そも大納言をば、何処にをかれたるやらんとて、ここかしこの障子引きあけ引きあけ見給へば、ある障子の上に、蜘手結うたる所あり。ここやらんとてあけられたれば、大納言おはしけり。涙にむせびうつぶして、目も見あはせ給はず。
「いかにや」
とのたまへば、その時見つけ奉り、うれしげに思はれたる気色、地獄にて罪人共が地蔵菩薩を見奉るらんも、かくやとおぼえて哀れなり。
「何事にて候やらん、かかる目にあひ候。さてわたらせ給へば、さりともとこそたのみまいらせて候へ。平治にも既誅せらるべかりしを、御恩をもって首をつがれまいらせ、正二位の大納言にあがって、歳既に四十あまり候ふ。御恩こそ生々世々にも報じ尽くし難う候へ。今度も同じくはかなき命を助けさせおはしませ。命だにいきて候はば、出家入道して、高野・粉河に閉ぢこもり、一向後世菩提のつとめをいとなみ候はん」
と申されければ、大臣、
「まことにさこそ思し召され候らめ。さ候へばとて、御命うひ奉るまではよも候はじ。たとひさは候とも、重盛かうて候へば、御命にもかはり奉るべし」
とて出でられけり。
つづき