節は
節(せち)は、五月にしく月はなし。菖蒲(さうぶ)、蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重(ここのへ)の内をはじめて、言ひしらぬ民のすみかまで、いかでわがもとにしげく葺(ふ)かむと、葺(ふ)きわたしたる、なほいとめづらし。いつかはこと折に、さはしたりし。
空の気色、曇りわたりたるに、中宮などには、縫殿(ぬいどの)より御薬玉とて、色々の糸を組みさげて参らせたれば、御帳たてたる母屋(もや)の柱に左右に付けたり。九月九日の菊を、あやしき生絹(すずし)の衣に包みて参らせたるを、おなじ柱にゆひつけて月ごろある、薬玉にときかへてぞすつめる。また、薬玉は菊の折まであるべきにやあらむ。されど、それはみな糸を引き取りてもの結ひなどして、しばしもなし。
御節供まいり、若き人々菖蒲(さうぶ)の腰さし、物忌(ものいみ)つけなどして、さまざまの唐衣(からぎぬ)、汗衫(かざみ)などに、をかしき折り枝どもながき根に群濃(むらご)の組して結びつけたるなど、めづらしういふべきことならね、いとをかし。さて春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
地(つち)ありくわらはべなどの、程々につけて、いみじきわざしたりと思ひて、常に袂(たもと)まぼり、人のに比べなど、えもいはずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童(ことねりわらわ)などに引きとられてなくも、をかし。
紫紙に楝(あふち)の花、あをき紙に菖蒲(さうぶ)の葉、ほそく巻きて結ひ、また、しろき紙を根してひき結ひたるも、をかし。いとながき根を、文の中に入れなどしたるを見る心地ども、えんなり。返事書かむといひあはせ、語らふどちは見せかはしなどするも、いとをかし。人のむすめ、やむごとなき所どころに、御文など聞こえ給ふ人も、今日は心ことにぞなまめかしき。夕暮れの程に郭公(ほととぎす)の名告(なのり)てわたるも、すべていみじき。