平家物語
小教訓
入道なほ腹をすゑかねて、
「経遠、兼康」
と召せば、瀬尾太郎・難波次郎参りたり。
「あの男とって庭へ引き落とせ」
とのたまへば、これらはさうなくもしたてまつらず。
「小松殿の御気色いかが候はんずらん」
と申しければ、入道相国おほいにいかって、
「よしよし、をのれらは、内府が命をばおもうして、入道が仰せをば軽うしけるごさんなれ。その上は力及ばず」
とのたまへば、この事悪しかりなんとや思ひけん、二人の者立ち上がって、大納言を庭へ引き落とし奉る。その時、入道心地よげにて、
「取って伏せておめかせよ」
とぞのたまひける。二人の者共、大納言の左右の耳に口をあてて、
「いかさまにも御声の出づべう候ふ」
とささやいて、引き伏せ奉れば、二声三声ぞおめかれける。その体、冥途にて、娑婆世界の罪人を、或いは業のはかりにかけ、或いは浄頗梨の鏡に引き向けて、罪の軽重に任せつつ、阿防羅刹が呵責すらんも、これには過ぎじとぞ見えし。蕭樊とらはれて韓彭にらぎすされたり。兆錯戮をうけ周魏罪せらる。たとへば蕭何・樊噲・韓信・彭越これらは高祖の忠臣なりしかども、小人の讒によって過敗の恥をうくとも、かやうの事をや申すべき。
つづき