忘れ貝
二月四日
四日。楫取、
「今日風雲の気色はなはだ悪し」
と言ひて、船出ださずなりぬ。しかれども、ひねもすに波風立たず。この楫取は、日もえ計らぬかたゐなりけり。
この泊の浜には、草々のうるはしき貝・石など多かり。かかれば、ただ昔の人をのみ恋ひつつ、船なる人の詠める、
寄する波打ちも寄せなむわが恋ふる 人忘れ貝下りて拾はむ
と言へれば、ある人のたへずして、船の心やりに詠める、
忘れ貝拾ひしもせじ白珠を 恋ふるをだにも形見と思はむ
となむ言へる。女子のためには、親幼くなりぬべし。
「珠ならずもありけむものを」
と人言はむや。されども、
「死し子、顔よかりき」
と言ふやうもあり。
なほ、同じ所に日を経ることを嘆きて、ある女の詠める歌、
手をひでて寒さも知らぬ泉にぞ汲むとはなしに日ごろ経にける