平家物語
座主流(ざすながし)
同じき廿一日、配所伊豆国と定めらる。人々様々に申しあはれけれども、西光法師父子が讒奏によって、かやうに行はれけり。やがて今日都の内を追ひ出ださるべしとて、追立の官人、白河の御房に行き向かって追ひ奉る。僧正泣く泣く御坊を出でて、粟田口のほとり、一切経の別所へ入らせ給うふ。山門には、
「せんずるところ、我等が敵は、西光父子に過ぎたる者なし」
とて、彼等親子が名字を書いて、根本中堂におはします十二神将のうち、金毘羅大将の左の御足の下に踏ませ奉り、
「十二神将七千夜叉、時刻をめぐらさず、西光父子が命を召し取り給へや」
と、おめき叫んで、呪咀しけるこそ、聞くも恐ろしけれ。
同じき廿三日、一切経の別所より配所へおもむき給ひけり。さばかんの法務の大僧正ほどの人を、追立の鬱使が先にけたてさせ、今日を限りに都を出で関の東へおもむかれけん心のうち、おしはかられて哀れなり。大津の打出の浜にもなりしかば、文殊楼の軒端の白々として見えけるを、二目とも見給はず、袖を顔に押しあてて、涙にむせび給ひけり。山門に宿老・碩徳多しといへども、澄憲法印、その時はいまだ僧都にておはしけるが、あまりに名残を惜しみ奉り、粟津まで送り参らせ、さてもあるべきならねば、それより暇(いとま)申して帰られけるに、僧正志の切なる事を感じて、年来孤心中に秘せられたりし、一心三観の血脈相承を授けらる。この法は、釈尊の付属、波羅奈国の馬鳴比丘、南天竺の竜樹菩薩より、次第に相伝しきたれるを、今日のなさけに授けらる。さすが我が朝は、粟散辺地の境、濁世末代といひながら、澄憲これを付属して、法衣の袂を絞りつつ、都へ帰り上られける、心のうちこそ尊けれ。
つづき