『最後の除目(兼通と兼家の不和)』
ここでは、大鏡の中の『最後の除目・兼通と兼家の不和(この大将殿は、堀河殿すでに失せさせ給ひぬ〜)』の現代語訳と解説をしています。
原文(本文)
この大将殿は、堀河殿
すでに失せさせ給ひぬと聞かせ給ひて、
内に関白のこと申さむと思ひ給ひて、この殿の門を通りて、参りて申し奉るほどに、堀河殿の目を
つづらかにさし出で給へるに、帝も大将も、いと
あさましく思し召す。大将はうち見るままに、立ちて鬼の間の方におはしぬ。関白殿、御前につい居給ひて、御
気色いと悪しくて、「最後の
除目行ひに参りて侍りつるなり。」とて、蔵人頭召して、関白には頼忠の大臣、東三条殿の大将を取りて、小一条の済時の中納言を大将になし聞こゆる宣旨下して、東三条殿をば治部卿になし聞こえて、出でさせ給ひて、ほどなく失せ給ひしぞかし。
心意地にておはせし殿にて、さばかり
限りにおはせしに、
ねたさに内裏に参りて申させたまひしほど、異人すべうもなかりしことぞかし。
現代語訳(口語訳)
この大将殿(東三条殿)は、すでに堀河殿がお亡くなりになられたとお聞きになったので、天皇に関白のこと(亡くなった堀河殿に変わって関白の位を自分に授けるよう)を申し上げようとお思いになられて、この殿(堀河殿)の家の門(の前)を通って、(帝の屋敷)に参内して申し上げていました。(そのとき)堀河殿が、(怒りで)目を大きく見開いていらっしゃったので、天皇も東三条殿も、大変驚いていらっしゃいます。東三条殿は、堀河殿を見るや、立って鬼の間の方へといらっしゃいました。関白殿(堀河殿)は、帝の御前にお座りになられて、機嫌はたいそう悪くていらっしゃいますが、
「最期の除目を行いに参りました。」
とおっしゃって、蔵人頭をお呼びになって、関白には頼忠の大臣(藤原頼忠)を、東三条の大将の位を剥奪して、小一条の済時の中納言(藤原済時)を大将に任命なさる旨をお下しになって、東三条殿を治部卿に任命なさって、ご退出なり、まもなくお亡くなりになられました。意地っ張りでいらっしゃった堀河殿のことなので、臨終間際でいらっしゃったときでも、(東三条殿を)妬ましく思う気持ちから、内裏に参内して(除目を)申し上げなさったことは、他の人にはとてもできないことでございました。
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